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スリランカ

スリランカ内戦の急展開と戦場における住民の苦境

LTTE支配地域の縮小

2009年に入ってから北部州の戦局は、大きく展開した。前年の夏以来、スリランカ政府は、LTTE(タミルイーラム解放のトラ)支配地区の首都であるキリノッチ攻略作戦に、総力を投入してきた。装備と兵力において圧倒的な優位に立つ陸軍は、三方からキリノッチを包囲した。ジャフナ半島の付け根にあるムハマライから、国道9号線沿いに南下してキリノッチに向かう部隊、マンナール半島から西部海岸沿いの地域を制圧し東方に進軍する部隊、および南部のオーマンタイから北上する部隊が少しずつ包囲網を縮小していった。ミグ戦闘機を主力にする空軍は、LTTE支配地域に対する空爆を執拗に行い、LTTEの戦闘能力を低下させた。トリンコマリーに司令艦隊を置く海軍は、西部海岸の封鎖し、海上から漁港を経由するLTTEの補給路を絶った。2月7日、スリランカ空軍は、LTTEのスーサイ海軍司令官宅を爆撃し、11名の幹部とともに殺したと発表している。

年初にキリノッチを占領されると、国道9号線の西側にあるタミル人の小都市は次々と陥落していった。西部海岸の主要都市であるムライティヴが政府軍の手に落ちると、LTTE支配地区は、北西部の内陸ジャングルにおけるおよそ80平方キロに局限された。国際赤十字委員会などによれば、軍事対決の最終局面を迎えたこの地域に、20〜30万人のタミル人住民が閉じ込められている。2月4日の独立記念日に、マヒンダ・ラージャパクサ大統領は、政府軍の全面勝利が目前であると表明した。同じ日に、国連のヴァイス報道官は、住民避難のために設けられた安全地帯で52名の民間人が死亡し、80名が負傷し、残っていた最後のプドゥックデイル病院もクラスター爆弾の空爆を受け、死傷者を出して閉鎖に追い込まれたと発表した。

戦場に取り残されたタミル住民の困窮については、実情を知る手掛かりが乏しい。戦果を発表する政府軍の公式報道以外に、内外のジャーナリストの取材は許されていない。1月以降、政府批判の報道を行った民間テレビ局が襲撃されたり、現政権批判の代表格であった「サンデー・リーダー」紙のラサンタ・グナトゥンガ編集長が出勤途上に銃殺されたりした。しかし、他の同種の事件と同じく、犯人は検挙されていない。

当面の緊急課題

戦局の急展開を憂慮して、1月21日にコロンボに飛んだ日本政府の明石康特別代表は、非戦闘員の戦争犠牲者を少なくするため、双方が軍事作戦を一時的に停止するよう求めた。さらに2月3日、東京会議(2003年)の4議長国(ノルウェー、EU、米国および日本)は、戦場の住民や難民が安全に移動できるよう、政府軍とLTTEが一時的な停戦を行うよう要請した。続いて、英国のミリバンド外相と米国のクリントン国務長官は、ワシントンで会談し、民間人が戦闘の犠牲者にならないよう配慮すべきであるとの声明文を発表した。これに伴い、双方が48時間に限って、非戦闘員である住民の安全通行が認めた。2月5日にニューデリーでHindu紙のラーム編集長と対談したバン・キムン国連事務総長は、ラージャパクサ大統領に電話し、民間人の犠牲者を出さないよう求めると述べた。

しかし、戦場に残されたタミル住民にとっては、政府軍側に進むも、LTTE軍側に残るも地獄である。長年LTTE支配地区にいたタミル人には、家族や親族の誰かがLTTE軍のメンバーである場合が少なくない。政府軍支配地区に行くと、爪をはぐなどの拷問を受け、LTTEに関する情報を求められるという恐怖感が根強く、よほど決心しないと動けない。事実、48時間に政府軍支配地区に移動したタミル住民や難民はきわめて少ない。5月7日現在の政府軍発表によれば、ムライティヴのLTTE支配地区から移動してきたタミル住民は、累計で5100名である。

国際社会も市民団体も繰り返して、政府軍にタミル人の安全を求め続ける必要がある。スリランカ政府は1971年以降、武装蜂起を繰り返した人民解放戦線(南部のシンハラ人)に対して、2度の特赦を施行したことがある。LTTEの若い兵士にも、同様の措置が必要であろう。

戦闘終息後の課題

2月6日に、筆者は南インドのタミル・ナードゥ州を訪問し、スリランカ・タミル人の難民支援活動をしているOFERR(イーラム難民再定住機構)のチャンドラハサン代表に会った。OFERRは非政府組織であるが、インド政府、とりわけタミル・ナードゥ州政府のスリランカ政策に、大きな影響力を及ぼすまでに成長している。チャンドラハサン代表が強調した戦闘終息後の中長期的な課題は、LTTE軍制圧後のタミル人居住地域における経済復興と地域住民による自治権の拡大である。経済復興に関しては、国際機関やインドを含む外国政府の役割が大きい。

スリランカ政府による分権化に必要な憲法改正案や全政党会議による州政府の強化案は、議論が続くばかりで具体化していない。他方、1987年のインド政府との間で締結された和平協定は、いまだに廃棄されていない。当時、両国政府がインドの州自治と同様に、言語を基準とする州政府の制度と実質的な自治権の拡大について合意している。チャンドラハサン代表によれば、20年以上も昔の和平協定に立ち帰って、再出発を図るべきである。改めて傾聴すべき提言であろう。

(パルシック 中村尚司)