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子どもたちの希望の光「教育」を奪った戦闘の再開

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ガザ地区では、大規模な攻撃が1年半以上も続いています。2023107日以降、17,000人以上の子どもたちが命を落としました。極限状態に置かれた子どもたちと、彼らから奪われた教育の機会について、現地スタッフのタグリードから届いたレポートをご紹介します。

タグリードからのレポート

ガザの子どもたちはこの間、子どもとして保障されるべき基本的な権利や生活の基盤、そして教育の機会までも失ってきました。戦前のパレスチナは、世界の中でも高い識字率で知られていました。教育は、子どもたちにとって未来を切り開くための希望そのものでした。

戦闘が続く中でも、仮設テントの学習スペースで授業を行う先生や、勉強を続ける子どもたちもいましたが、それは一部にすぎません。多くの子どもたちは、学びの場を奪われていたのです。

(関連記事:ガザ現地からのレポート

家を失い、家族を亡くし、テントでの避難生活を強いられるなど厳しい状況の中にあって、深刻な精神的苦痛により、多く子どもたちが学習への意欲すら持てない状況にありました。

しかし、2024119日の停戦合意後、校舎は破壊され、机や椅子、教材、教師も全く不足する中で、それでも「失われた時間を取り戻そう」と授業が再開されました。

私のいとこの子どもたちも、停戦期間中に学校に戻ることができました。その体験をご紹介します。

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2024年12月、テントの学習スペースで活動に参加する子どもたちの様子

マリアム(12歳)

「戦争が始まる前、私は毎日学校に通うのが楽しかったです。でも戦争で学校は閉鎖されました。私はスマートフォンがあったので、勉強を続けることができましたが、持っていない子もたくさんいました。

停戦後、避難していた人たちは授業再開のために学校から退去するよう命じられました。『みんなどこに退避するのだろう』と心配になりました。

黒く焼け焦げた学校に戻って授業を受けることができたものの、隣の教室では今も避難生活を送る人たちが火を焚いて料理をしていました。その食べ物の匂いが教室まで届き、ぼんやりしてしまう子もいました。彼女たちの頭からは、炊き出しの列や水汲みの行列が離れないようでした。

私も授業に集中するのが難しかったです。汚れた服の子や、髪にシラミがいる子もいて、感染するのではと怖かったです。学校に行くたびに、戦争で殺された友だちのことを思い出しました。

家族にお金がなくてノートやペンを買えない子もいます。それでもみんな、友だちと話すと『海外で勉強を続けて、もっといい未来をつくりたい』と言っています。」

サラ(13歳)

「戦争が始まる前は、学校に通って、試験を受けて、友だちと遊んで、何も怖がることもなく外にも自由に出られていました。でも、戦闘が激しくなってからは授業も受けられず、友だちとも会えなくなりました。

親友のラハフは殺されました。彼女が天国で安らかに眠っていることを祈っています。

停戦で学校に戻れましたが、爆撃された校舎を前にして、友だちがたくさん亡くなった現実を改めて思い知らされました。授業中も、隣の教室では避難している人たちが火を焚いて料理やシャワーの準備をしていて、その煙が教室に入り、息苦しくなることもありました。」

マリアムやサラの言葉からもわかるように、ガザの子どもたちは、暴力による恐怖、繰り返される避難、そして教育の中断を経験しています。その精神的・心理的負担は計り知れません。

それでも停戦中、多くの子どもたちは壊れたサンダルや左右ちぐはぐの靴を履き、何度も着て擦り切れた制服やサイズの合わないシャツで、冷たく埃っぽい床に座り、使い古したノートや折れた鉛筆を共有しながら教室に戻りました。

決して完璧でも快適でもありませんが、学校の再開は、破壊のただ中で訪れた唯一の日常でした。

しかし、わずか2か月後の20253月、停戦は破られました。教育というかすかな希望は再び打ち砕かれ、攻撃が激化する中、学校は再び閉鎖。何十万人もの学齢期の子どもたちが、再び学びの機会を失っています。

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2024年12月、テントの学習スペースを訪問した様子

戦闘が再開して以降、避難命令が相次ぎ、多くの家族が何度も避難を余儀なくされています。ガザでは慢性的な水不足と深刻な食料難が続いており、衣類や学用品をそろえる余裕は到底ありません。

瓦礫が散乱する通りを、壊れたサンダルや裸足で歩く子どもたちの姿を目にしました。小さくなった服や、汚れて破れたままの服を着ているのは、本人や親の意思ではなく、それしか選択肢がないからです。

それでも、子どもたちは教室に戻る日を夢見ています。

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不発弾や瓦礫がいまも多く残る場所を、壊れたサンダルや裸足のまま歩く子どもたちがたくさんいます

緊急支援へのご協力をお願いします

安全が確保され、子どもたちが再び学校に通える日が来たときに備え、衣類、靴、ノート、ペン、リュックなどの学用品を届けたいと考えています。

教育は、心の傷を癒す手段であり、残酷な現実から一時でも逃れる拠り所です。戦時下にあっても、私たちは子どもたちの「学ぶ権利」を守るために声を上げなければなりません。

どうか皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。

(ガザ事務所 タグリード)

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