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【ベイルート大規模爆発レポート】#2 爆発から2週間。市民とNGOによる懸命な活動が続いています。

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8月4日の夕方に突如爆発が起こってから、8月17日現在、死者数は178人以上、負傷者6000人以上に上っています。慟哭と嘆きの中、危険な爆発物を放置していた政府に責任があると、市民による抗議活動が連日続きました。日本だったら、すぐに避難所の設置、自治体や政府による緊急支援などが実施されるでしょう。ところが、レバノンでは、2週間経った今も、政府による避難所は設置されていません。それどころか、度重なる抗議活動の結果を受けて、10日、レバノンのハサン・ディアブ首相は内閣総辞職を発表しました。主導となるべき政府が機能していない中、現場ではどんな活動が行われているのでしょうか。

ベイルート地図。オレンジで囲った場所が爆発の起きた港湾地区。

爆発後の現場。穀物保管庫以外は、全て倒壊した。

写真の左中央に写っている白い建物は、穀物保管庫で、その前が爆発の起きた現場です。このあたり一帯には多くの建物が並んでいましたが、一瞬にして崩壊し、今は見る影もありません。レバノンは食糧品の8割以上を輸入に頼っていましたが、ベイルートの港が爆発によって破壊されたため、今後、一か月以内に国内の小麦粉はなくなるのではないかと言われています。つまり、激しい物価高の中、最も安価に食べることのできた主食のパンが市場から消えてしまうということです。

爆風によって剥き出しになった骨組み。

爆発地点から約1.5キロ程度の地域では70%以上の住民が避難を余儀なくされた。

これは、爆発から4日後に最も被害の大きかった地域の一つであるカランティナで撮影したものです。爆風によって建物の骨組み部分が飛び出ています。爆発から2日後に行われた調査によると、この地域の大半は、人びとが居住できない状態になってしまいました。しかし、住民の3割ほどは、未だに半壊・一部破損家屋に住み続けています。1,000人以上の方は、親戚や支援などを頼って他の場所へ避難しました。

人びとに愛されていた芸術家の街が一瞬にして崩壊した。

ただ、一人、崩壊寸前の建物に住み続けるローズさん。

レバノンの首都、ベイルートにはおしゃれな通りがいくつもあったのですが、その一つがベイルート港のすぐ近くにあるジュメイゼという地区でした。様々なレストランなどが立ち並び、地元の人やヨーロッパの人、芸術家や難民など、多種多様な人びとが住んでいた一角でしたが、爆発によって一瞬で廃墟と化しました。現時点で、この地域に住み続けているのは、ローズさんという高齢のおばあさん一人だけです。元教師だったというローズさんは、「誰がなんといおうと、私は自分の愛するこの家を離れない。なぜ、政治家は何もしてくれないの。汚職ばかりを続ける彼らを許すことはできない」と憤っていました。

そう、政府から何の援助もない中、昼夜なく人びとを支援するために活動しているのは、全国から駆け付けた人びととNGOなどの団体なのです。

家から掃除道具をかき集め、全国から続々と集まった清掃ボランティアの人たち。

パルシックの提携団体の職員とボランティアの方たち。

今回の爆発で奇跡的に助かった方々もおられました。ジュメイゼでタクシーの運転手を長年してきたナシームさん(66歳)も、そのお一人です。4日の夕方、ナシームさんは車に乗った瞬間、ものすごい爆風が来て、20メートルほど吹き飛ばされたそうです。その直後に、6階建ての建物が崩れ落ち、ナシームさんの大切な愛車は押しつぶされました。ナシームさん自身も、身体中に大けがを負い、必死で病院まで行きました。病院は怪我人だらけで、お医者さんや看護士さん自身もかなりの怪我を負っており、長時間待ってから、何針も縫う処置をしてもらったそうです。

ナシームさんは言います。「ぼくは、長年、タクシーの運転手をしてきたんだ。けれど、物価が数倍にも値上がりして、一日の稼ぎが3,000円ほどだったのが500円になってしまった。その上、この仕事道具だった愛車を失ってしまって、今後、どうして生活していけばいいのだろう。保険にも入っていたが、今回は事故ではないので、何の修理もできないと言われてしまった」。

一瞬にして崩れ落ちてきた6階建ての建物に押しつぶされたナシームさんの車。

日本を敬愛すると語るナシームさんの優しい笑顔。

そんなナシームさんに日本に対して、何か伝えたいことはありますかと聞きました。するとナシームさんは、「ぼくは日本が大好きです。なぜなら、日本人は人種差別することなく、見返りを求めることなく、どんなところでも支援活動をするから。私は日本を敬愛しています。私の愛車も日本製だったんですよ。」と語りました。全てを失ってしまったナシームさんは、私に向かって、「ここに来てくれてありがとう」と、こんなにもあたたかい笑顔を見せてくれました。内戦を経験したり、多くの苦労を重ねてきたナシームさんの輝くような笑顔に出会って、本当に何とも言えない切ない気持ちになりました。 ニュースでは、カルロス・ゴーン氏や腐敗した政治家のことばかりが取りざたされるので、もしかしたら、レバノンには心根の悪い人間ばかりが住んでいるようなイメージをもたれている方もいるかもしれません。しかし、私はこの国で5年以上働いていますが、本当に素晴らしい、心のあたたかい方々にどれほど巡り合ってきたことでしょう。そして、そんな人たちが口をそろえて、「私は日本が大好きです。日本人は約束を守り、とても誠実な人たちが多いと聞いています。この国も日本のようにいつかなってほしい」と言うのを聞いてきました。どうか、こんなに日本から遠く離れた中東の国レバノンに住むレバノン人、シリア人、様々な人種の人びとが、こんなにも日本をこよなく愛し、尊敬していることを知って頂けたらと思います。

最後に、私の若き友人であり、芸術家でもあるレバノン人のハヤさんが首都ベイルートの爆発後に詠んだ詩(意訳)をここに記したいと思います。

愛する街、ベイルートは一瞬にして変わり果ててしまった。(出典:the961.com)

「ベイルート、あなたは今も私の知ってたベイルートでしょ。 ベイルート、あなたのにおいをかぐと、懐かしい香りがする。 でも、その夜、あなたは変貌した。 私は、あなたが崩れ落ちるのを見た。 ベイルート、私はあなたが泣き叫ぶのを夜通し聞いた。 それとも、私たちの嘆きが廃墟にこだましてただけ? ベイルート、あなたは血を流し、私たちの体内からも血が流れ出た。 ただ、理不尽なことのために、互いの血が流れた。 ベイルート、あなたは嘆き、私たちもすすり泣く。 こんなに魂が枯渇したように感じたことはない。 私たちの心は壊れ、魂は砕け散った。 ベイルート、あなたは変わり果ててしまった。 私たちも、以前の私たちではない。 前よりも、強くなって、でも同時に弱り果ててしまった。 やるせない怒りと雪辱の思いをどこに向ければいいのか。 ベイルート、変わり果てた私たちのことを、まだ覚えている? 床からあなたの手足を引きずりだして助けようとしている私たちのことを。 飛び散った銀色のガラスと毒まみれの灰の中から、失った私の心をどうか見つけて。」 (出典(原文英語):Facebook: https://www.facebook.com/haya.khoury.908 (c)Haya Khoury)

本当に多くのかけがえのないものを失った中で、昼夜、NGOと人びとの支援活動は続いています。わたしたちパルシックは、長年信頼を培ってきた提携団体と共に、食糧・衛生用品の配布や心のサポートなどの活動を計画しています。経済危機の影響によって、この冬には餓死者が多数出ると言われていたレバノン。爆発の結果、今後はさらに逼迫した状況が続くことになります。しかし、「必ずできることはある」と信じて、実に多くの人が現場活動を行っています。日本の皆さんからの力強い支援が、明日への継続的な活動につながります。

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(レバノン事務所 南)

*パルシックでは緊急の食糧支援を実施します。ぜひ、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

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