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東ティモール

住民投票から10年を振り返って

現在オーストラリアで公開中の映画『Balibo(バリボ)』。この映画の主題歌を今回来日するエゴ・レモスが歌っています。バリボは西ティモール(インドネシア)との国境に近い町の名前です。この町で、欧米人記者5人が1975年10月16日に殺害されました。オーストラリアのテレビ局がインドネシア軍の東ティモール侵攻作戦を取材するために派遣した、20代(最年少は21歳)の青年たちでした。目撃者の証言などによると、両手を上げて投降する記者たちが、インドネシア軍部隊に処刑されました。しかし、インドネシア政府は5人が「戦闘に巻き込まれて死亡した」との見解を表明し、インドネシア政府との関係を重視するオーストラリア政府はそれを受け入れました。

The Balibo Flag House - Timor Leste

インドネシア軍は、記者たちを殺害したことで軍事侵攻のニュース映像が外国で流れることを阻止し、事件から2ヵ月後の12月7日には東ティモールの首都ディリへ全面侵攻を開始しました。その後24年にわたるインドネシア軍事支配下で、東ティモール人犠牲者は18万人以上にも達しました。全人口のおよそ4人に1人が亡くなったことになります。

1999年の住民投票で人びとの意思が確認され、2002年に東ティモールは独立(回復)しました。当初は国連の「成功モデル」ともてはやされ、この10年間で首都ディリの街並みは小綺麗になり、出勤時間には交通渋滞を引き起こすほど自動車があふれかえり、海底油田からの収入が国家財政を潤すようになりました。その一方で、2006年に政治・治安危機が、2008年には大統領・首相「同時襲撃」事件など、社会全体を揺るがす事態がおきました。そして、住民の大多数は依然として貧困状態にあるなど、さまざまな困難を抱えていますが、最も重要な(しかし最もないがしろにされている)問題のひとつが裁き・不処罰の問題です。住民投票実施・東ティモール独立を阻止するために、親インドネシア派民兵とインドネシア軍は、全土にわたって焦土作戦や略奪、民間人に対する殺人・強かん・拷問・監禁するなど、あらゆる暴力手段を用いました。人道に対する罪をはじめとして、これら1999年の犯罪に対する裁きが、住民投票後のこの10年間ほとんど進んでいません。

東ティモールとインドネシアが直面している裁き・不処罰の問題は二国間だけの問題ではなく、私たちもその責任の一端を担っています。なぜなら、住民投票は国連の責任下で実施されました。そして、人道に対する罪は関係国だけでなく、その名の通り人類共通の問題です。東ティモールの人びとはこれら人道に対する罪を裁く国際法廷の実施を求めていますが、大国の利害関係や国際社会の無関心もあり、現在まで設置されていません。

一方、西ティモールで暮らしていた東ティモール人元民兵指導者が、2009年8月はじめに東ティモールで逮捕されました。カトリック教会に避難していた30人以上の民間人を殺害した事件に関与した、人道に対する罪の容疑者としてです。しかし、住民投票10周年記念にあたる8月30日、シャナナ首相によって超法規的に拘置所から釈放されました。人びとの正義に対する希求を大統領・首相はしりぞけ、彼らの言う「和解」(=不処罰)を強要しようとしています。

9月9日、オーストラリア連邦警察はバリボ事件を捜査することを決めました。映画の公開もひとつのきっかけになったでしょうが、より重要なのは記者たちの家族・友人・関係者らの正義を求める30年以上の努力の積み重ねでした。その努力を押しつぶそうとするオーストラリア政府と一般の人たちの無関心という大きな流れに抗いながら、正義の実現に一歩近づきました。しかし、東ティモールの大勢の人びと(1999年に父と祖父を亡くしたエゴ・レモスもその1人)にとって、正義は、まだはるか遠いものです。過去を忘れることでは、平和を確かなものにできない。このことは、世界中のあらゆる場所でいつの時代でも同じです。今回のコンサートでエゴの歌を聴きながら、東ティモールの平和、そしてその土台である正義・裁きの問題をともに考えませんか。

(パルシック 高橋茂人)