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南三陸荒砥 漁村コミュニティ支援
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荒砥との出会い
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▲被災した志津川防災庁舎、5/19撮影 |
3.11の津波で亡くなった人は9名で、被災家屋は地区の3割程度。海岸からすぐ近くに高台があるため、地区の壊滅という事態にまでは至りませんでした。津波直後は、200人以上の方々が旧荒砥小学校へ避難しました。南三陸町防災庁舎で最後まで防災放送を続けた女性職員の方の実家もこの地区にあります。
南三陸町荒砥地区付近の地図
パルシックは、4月から5月にかけて宮城県北部の避難地域で救援物資の配布活動をしていたとき、旧荒砥小学校避難所を訪れました。4月始め時点で50名ほどが避難生活を送っていました。そこで、避難所代表の高橋源一さんと出会いました。源一さんは、宮城県漁協志津川支所の副委員長も務めています。震災前は漁業と並行して、妻の敏子さんと一緒に20年ほど前から民宿「荒砥」を経営していました。アワビ、アイナメなどを名物料理として、全国の釣り客や県内の宴会客を通年で迎え入れていました。
震災当時、源一さんは自らの船を沖に逃がし、沖で夜を明かしました。翌朝岸へ戻ると、家族は無事に高台へ避難していましたが、民宿と自宅はほとんど形を残さずに流されていました。地区で残った船はたったの15艘。しばらくは、漁業の再開に向けて何から手をつけてよいかわからない状況でしたが、5月中ごろに志津川湾で水中ロボットによる海底の状態を調査が行われ、がれきなどのごみがほとんどないことが分かり、希望が湧いてきたそうです。
パルシックでは、緊急救援としての物資配布活動に続く中期の復興支援として、プレハブでなく木造の仮設住宅の建設支援をこの地区で実現できないかと一時期模索しましたが、いろいろな壁があって実現にはいたりませんでした。
お弁当屋を建てる!
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▲お弁当屋さんの骨組み |
そこで、私たちは7月に入って、源一さん夫妻のお弁当屋さん立ち上げの支援をすることにしました。石巻のコミュニティ・カフェ「街の駅おちゃっこ」でもサポートしていただいていた、山形の自由教育団体「小国フォルケ・ホイスコーレ」に協力を依頼しました。そして、小国の米農家が本業である腕利きの素人大工、川崎吉巳さんと、その弟子であるパルシックの若きスタッフを中心に、津波で更地になった土地の一角に、木造の3坪ほどの建物を作り始めました。
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▲8月中旬、お弁当屋さんが完成しました! |
漁師として漁業復興へ向けての取り組みを着実に進めながら、仮設住宅でのコミュニティの新しい暮らしを始めながら、秋の気配が色濃くなってくる頃には、お弁当屋さんの内装づくりにも着手していくことでしょう。そしていつか、地域の人たちの憩いの場として、また、地域復興のシンボルの一つとして、根付いていくことでしょう。
(加藤 俊嗣)
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