PARCIC

東ティモール

国づくりを支え、美味しいコーヒーを作る

1999年、国連監視の下での住民投票でポルトガルから独立を果たそうとした東ティモールは、インドネシア軍と民兵による暴行にさらされました。パルシックは、傷ついた住民たちのための医薬品などを届ける緊急救援に駆けつけ、2002年から山間部の農民の生活を支えているコーヒー生産の支援を開始しました。

プロジェクトを知る

山間部農村の水利改善事業(2015年~)

マウベシ郡内の11の集落で、水利改善事業を実施しています。マウベシの人びとがいつでも生活用水および農業用水を確保できる環境が整い、人びとの生活が改善されることを目指しています。

森林保全型農業の支援事業(2012年〜2015年9月)

2012年から東ティモール国内全体の環境保全のために、持続可能な農業を推進する事業を始めました。有機農業や家畜飼育の技術指導、薪の有効活用、アグロフォレストリーの推進などを行っています。

女性の生活向上支援(2008年~)

2013年10月から女性の食品加工事業を東ティモール内6県に拡大して、22の女性グループとともに食品加工による収入向上に取り組んでいます。

コーヒー生産者支援(2002年~)

2002年よりオルター・トレード・ジャパン社と共同で東ティモールの重要な輸出産品であるコーヒーを通じた取り組みを開始しました。東ティモールのコーヒー生産者が組合を組織することに協力し、良質のコーヒーをフェアトレードで買い続けることで経済的自立への足がかりにしようという取り組みです。

緊急救援の時代(1999年~2002年)

1999年8月30日、インドネシアの下にとどまるか否かの住民投票が行われ、78.5%という圧倒的多数が独立を選びました。緊張が高まる東ティモールで、パルシック(当時は、PARC=アジア太平洋資料センター)は、何とか平和的な手段で人びとに手を差し伸べたいと考え、緊急救援を開始しました。

東ティモールを知る

東ティモールの魅力は人と自然。海にもぐれば、透明な海水の中に珍しい数々の魚と出会えるダイバー天国。山道を歩くとかわいい花が路傍に咲いています。人びとの暮らしはシンプルで、子どもたちは木切れやタイヤの端切れなど手元にあるもので遊びながら、目いっぱいの笑顔を見せてくれます。シャワーはお湯が出ないなど、不自由をしのいで、余りある東ティモールの魅力をお伝えします。

食べる

まだ東ティモール料理と定まらない、日常の食事はポルトガルやインドネシアの影響を色濃く受けている・・・地方の郷土料理はどこか日本人にとっても懐かしい味わいです。

学ぶ

1999年、住民の意思でインドネシアからの独立を選んだ東ティモールの国造りの過程を現地からお伝えします。

観る

あまり知られていない東ティモールの観光名所の数々をお伝えします。
東ティモール民主共和国(The Democratic Republic of Timor-Leste)
首都 ディリ
面積 約1万4,000平方キロメートル(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積とほぼ同じ大きさ)
人口 約118.5万人(2015年)
言語 テトゥン語が一般的ですが、その他多数の地域語があります。
宗教 キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%
平均寿命 69歳(日本は84歳)
成人識字率 58%
出生率 女性1人あたり5.6人(日本は1.4人)
乳幼児死亡率(5歳以下) 1,000人あたり53人(日本は3人)
通貨 US米ドル

The State of the World's Children 2016(UNICEF)より引用

16世紀
ポルトガル人がティモール島に上陸。ティモール島を植民地化。
1859年
西ティモールがオランダ領に
1911-12年
サメ地方のリウライ(王)ドン・ボアベントゥラが蜂起。2年間の反税闘争。1912年にポルトガルにより鎮圧される
1941年
12月17日 連合軍がティモール島に侵攻
1942年
2月20日 日本軍がティモール島に侵攻し終戦(1945年)まで実効支配
1945年
日本の敗戦により東ティモールにおけるポルトガル総督府の支配が復活
1949年
インドネシアの一部として西ティモールが独立
1974年
4月 ポルトガルでカーネーション革命。東ティモールでも脱植民地化への動きが本格化
1975年
11月28日 フレテリン(独立派政党)、東ティモール民主共和国独立を宣言
12月7日 インドネシア軍が東ティモールに全面侵攻。その後、国連安保理はインドネシア軍の即時撤退を求める決議採択
1991年
11月12日 サンタクルス虐殺事件。インドネシア軍による無差別発砲によって数百名の死傷者
1999年
5月5日 国連、ポルトガル、インドネシアが独立を問う住民投票の実施を合意。
8月30日 住民投票実施(投票率98%)。約80%が独立を支持。その直後から併合派民兵とインドネシア国軍による破壊・略奪行為が激化
9月 オーストラリアを中心とする多国籍軍が東ティモールに到着
10月20日 インドネシア国民協議会、東ティモール独立を承認
10月25日 国連安保理が国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)の設置を決定
11月1日 インドネシア国軍、完全撤退
12月2日 国民諮問評議会(NCC)発足
12月16日 東京で東ティモール支援国会議開催
2000年
7月12日 NCC、東ティモール人4人/UNTAETメンバー4人からなる暫定内閣設置を決定
10月 国民評議会(NC)発足
2001年
8月30日 憲法制定議会選挙。フレテリンが88議席中55議席を獲得。
2002年
3月22日 憲法を採択
4月14日 大統領選挙、シャナナ・グスマン氏が初代大統領に
5月20日 東ティモール民主共和国として主権回復を果たす
2004年
12月 各県にてスク(村)・アルディア(小村)選挙開始
2005年
4月28日 国連安保理、国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定
8月 東ティモール石油基金設立
2006年
4月28日 離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入
5月初旬 憲兵隊員が国軍から離脱、国軍本部を襲撃
5月25日 東ティモール政府の要請を受けオーストラリア、ポルトガル、ニュージーランド、マレーシアが国際治安部隊を派遣
6月26日 アルカティリ首相辞任
7月10日 ラモス・ホルタ外相が首相就任
8月25日 UNOTILの任務終了。国連安保理、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定
2007年
4月9日 大統領選挙実施
5月9日 大統領選挙決選投票実施
5月20日 ラモス・ホルタ前首相が大統領就任
6月30日 国民議会選挙実施
8月8日 シャナナ・グスマン前大統領が首相就任
2008年
2月11日 ラモス・ホルタ大統領及びグスマン首相「襲撃」事件発生。ラモス・ホルタ大統領重傷を負う
2月12日 非常事態宣言発令
4月17日 ラモス・ホルタ大統領職務復帰
5月8日 非常事態宣言解除
8月 元民兵指導者逮捕。8月30日大統領令により、超法規的に釈放
2009年
8月24日〜28日 ラモス・ホルタ大統領の発案により、初の国内自転車一周大会(ツール・ド・ティモール)を開催
2011年
7月12日 2011年~2030年までの『国家戦略開発計画』最終版が発表される
2012年
2月23日 UNMITの任期が2012年12月31日まで延長
3月17日 大統領選挙実施
4月16日 大統領選挙決選投票実施
5月20日 タウル・マタン・ルアク前国軍司令官が大統領就任。主権回復10周年
7月7日 国民議会選挙実施
2015年
2月9日 シャナナ首相辞任
2月16日 ルイ・マリア・デ・アラウジョ氏が首相に就任、第6次立憲政府発足
タイトル 著者 出版元 [出版年]
チモール、知られざる虐殺の島 田中淳夫 彩流社 [1987年]
ナクロマ・東ティモール民族独立小史 古沢希代子 松野明久 日本評論社 [1993年]
東ティモール国際関係史 1900-1945 後藤乾一 みすず書房 [1999年]
東ティモール-奪われた独立・自由への闘い 高橋奈緒子 益岡賢 文珠幹夫 明石書店 [1999年]
東ティモール2 「住民投票」後の状況と「正義」の行方 高橋奈緒子 益岡賢 文珠幹夫 明石書店 [2000年]
いつかロロサエの森で 南島風渉 コモンズ [2000年]
東ティモール独立史 松野明久 早稲田大学出版部 [2002年]
神の慈しみの島 東ティモール~草の根医療チームの記録~ 亀崎善江 女子パウロ会 [2003年]
東ティモールを知るための50章 山田満 編著 明石書店 [2006年]
オルタ2012年5・6月号 アジア太平洋資料センター(PARC) [2012年]
東ティモールの現場から―子どもと平和構築 久木田 純 木楽舎 [2013年]
東ティモールのことば テトゥン語入門 青山森人 中村葉子 伊東清恵 市之瀬敦 株式会社社会評論社 [2013年]
東ティモールの成功と国造りの課題 国連の平和構築を越えて 花田吉隆 創成社 [2015年]