特定非営利活動法人 パルシック(PARCIC)

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マレーシア

Malaysia

マレーシアの民際協力活動

小規模沿岸漁民の暮らしと自然環境を守る

マレーシアの急速な経済成長は、美しい海や自然を損ない、沿岸水産資源も失われています。
沿岸小漁民たちは自分たちの暮らしと自然を守るためにマングローブ植林を行っています。
パルシックはPIFWA(ペナン沿岸漁民福利協会)のマングローブ植林を支援し、
PIFWANITA(PIFWAの女性たち)と共に、環境保全や女性の生計向上支援を行っています。

プロジェクト

  • 女性グループによる食品加工事業

    女性グループによる食品加工事業

  • 漁民によるマングローブ植林活動

    漁民によるマングローブ植林活動

スタッフレポート

  • 2023年度夏のマレーシア・ペナンでのフィールドワーク実施

    2023年度夏のマレーシア・ペナンでのフィールドワーク実施

    • マレーシア
    • 民際教育
    • 民際教育事業
  • 3年ぶりに開催!マレーシア、多民族共生社会を訪ねるフィールドワーク

    3年ぶりに開催!マレーシア、多民族共生社会を訪ねるフィールドワーク

    • マレーシア
    • 民際教育
    • 民際教育事業
  • 新型コロナウイルス マレーシアの状況

    新型コロナウイルス マレーシアの状況

    • マレーシア

マレーシアを知る

国基本情報

マレーシア(Malaysia)
首都 クアラルンプール
面積 32万9847キロ平方メートル
人口 2995万人(2013年)
言語 マレーシア語、英語
宗教 イスラム教、仏教、ヒンドゥー教
通貨 リンギット
  • 略史

    14世紀 マレー半島に東西からの貿易船が行き交うようになる
    1402年 ヒンドゥ王国の王子がマラッカ王国を設立 数年後、明がマラッカに初寄港、マラッカ国王として認証
    1511年 ポルトガル、マラッカを占領
    1602 or1603年 オランダがケダとジョホールに貿易拠点を創る
    1641年 オランダがポルトガルを駆逐し、マラッカはオランダの植民地となる
    1786年 イギリスのフランシス・ライトがペナンに上陸、占領
    1795年 オランダはイギリスの東インド会社にマラッカを移譲
    1824年 イギリス・オランダ両国が「英蘭協定」を締結し、マラッカ海峡の東側のマレー半島をイギリス領、西側のスマトラ・ジャワをオランダ領とする
    1826年 イギリスがペナン・マラッカ・シンガポールの3港を掌握し、直轄の植民地とする
    1874年 イギリスとペラ・パハン・ヌグリスンビラン・セランゴールのスルタンが「パンコール条約」を結び、駐在官制度を導入
    1896年 3つの直轄地、4つのマラヤ連合州、非保護州となった5つの非連合州からなるイギリス領マラヤ成立
    1906年 イスラム改革運動の高揚により最初のマレー語の新聞がアル・イマムが発行される
    1930年 マラヤ共産党が結成される
    1941年 日本軍が、マレー半島の東海岸 クランタン州・コタバルに上陸(マレー作戦)
    1942年 イギリス軍が日本軍に降伏し、日本軍がマラヤ全域を占領 
    1942年 マレー人民抗日軍(MPAJA)が結成される
    1945年 再びイギリス軍による統治がはじまる
    1948年 イギリスの新たな統治政策による「マラヤ連邦」が成立する マラヤ共産党(CPM)の反乱に対し、緊急事態が発せられる
    1957年 イギリスがマラヤ連邦独立を承認、植民地支配が終わる
    1963年 初代首相 トゥンク・アブドゥル・ラーマンがシンガポール、サバ、サラワクを統合し、マレーシアが成立
    1965年 シンガポールが分離、独立
    1969年 総選挙による「華人」政党の躍進 民族暴動「5月13日事件」が起き、非常事態が宣言される
    1970年 9月 ラーマン首相辞任、第2代首相にアブドゥル・ラザク就任
    1971年 ラザク首相が「新経済政策」(NEP)を発表
    1974年 クアラルンプールを連邦の首都に定める
    1975年 ラザク首相急死 フセイン・オン、第3代首相に昇格
    1981年 マハティール・モハメッドが首相就任
    1987年 オペレーション・ラランと呼ばれるNGO活動家、野党政治家の100名以上の大量逮捕事件が起きる
    1997年 アジア通貨危機が起こる
    1998年 アンワル・イブラヒム元副首相の逮捕
    1999年 首相官邸および首都機能がクアラルンプール郊外の新行政都市プトラジャヤに移転
    2000年 インドネシアの政治改革運動の影響を受けた「リフォーマシ」運動が起こる
    2003年 アブドゥル・ビン・アフマッド・バダヴィ首相就任
    2008年 第12回総選挙において野党連合が躍進する
    2009年 ナジブ・ラザック首相が首相に昇格・就任
    2011年 第13回総選挙を前に政治改革運動BERSHIが盛り上がる
    2012年 4月17日 ISAに代わる「国家安全犯罪法案」を可決
    2013年 10月 総選挙、与党連合BNが勝利するも野党連合PRの得票率は50.39%にとどまる。
    2014年 3月 マレーシア航空370便 行方不明になる
    7月 マレーシア航空17便 ウクライナ上空で撃墜される。
    政府によるMalaysian sedition dragnetによって反体制派とされる活動家・政治家の逮捕が相次ぐ。
    2015年 3月 対ドル為替レート、マレーシアリンギットが下落
    4月 GST(Goods&Service Tax)導入により物価上昇
    9月 ナジブ首相によるマレーシア政府系ファンド「IMDB」スキャンダル発覚
    2016年 1月 テロ対策法としてNational Security Lawが成立する
    11月19日 クアラルンプールでBersih5.0 (公正で透明性のある選挙制度を求めるキャンペーン)の最終デモが行われ、4万人以上が集まる
    2018年 5月 総選挙で野党連合「希望連盟」(PH)が勝利し、独立後初めて政権交代が実現。93歳のマハティール氏が首相に返り咲く
    2020年 2月 シェラトン・ムーブと呼ばれるクーデターが政権内で発生。与党内の内部対立が深刻化したことへの責任をとるとして、マハティール氏が首相を辞任
    3月 ムヒディン・ヤシン元副首相が新首相に就任。UMNOと連合を組み、国民連盟(PN)政府を樹立
    3月 コロナ感染拡大から全国に移動制限令(MCO)を発出
    2021年 1月 「緊急事態宣言」をアブドラ国王が発令、これにより連邦議会および州議会活動及び、すべての選挙が停止 再び、全国に移動制限令(MCO)が発令される
  • ペナンの政治・社会

    ペナン州の政治社会状況

    ペナン州の人びとの平均収入は、首都クアラルンプールやマラッカ州、ジョホール州の次に高い金額となっています。気になるのは、2002年と2009年を比較すると貧困率が高くなっていることです。これは都市型の開発が急に進んだ結果、貧富の格差を生じているのではないかと考えられます(参考:Penang Institute資料(英語))。
    PIFWAの漁民たちがおかれているペナン州の政治社会状況はどうなっているのでしょうか。

    ▲開発がすすむペナン島の街並み

    政治的背景

    マレーシアの政治は、マレー系・華人系・インド系、それぞれの民族を代表する政党、UMNO(統一マレー人国民組織)・MCA(マレーシア華人協会)・MIC(マレーシアインド人会議)が主要政党となって与党連合BN(国民戦線)を形成し、1974年から現在に至るまで政治を支配してきました。しかし、「REFORMASI」運動をきっかけにした民主化の運動によって、2008年に「TSUNAMI」と称された総選挙の結果、それまで与連合が90%以上を占めていた国会で野党の数が飛躍的に伸びました。その時、ペナン州の政権は、セランゴール州、パハン州、クランタン州、ケダ州とともに野党連合PR(人民連合)政権に移ります。

    現在のペナン州首相、リム・グアンエンは、著名な野党政治家であるDAP(民主行動党)のリム・キットシアンを父に持ち、若いころから投獄などを経験してきた人です。野党第一党であるPKR(人民正義党)を代表する元マレーシア副首相兼財務大臣、アンワル・イブラヒムの選挙区もペナン州にあり、ペナン州は政治的変化を生み出すリベラルな政治的土壌があります。

    ペナンのNGOと市民

    ペナン州には、長い歴史を持つNGOが多く活動しています。日本でもよく知られているCAP(ペナン消費者連盟)やALIRAN(アリラン)はNGO活動が極めて限定的だった1970年代からその活動を始めました。CAPは消費者としての草の根の人びとの啓蒙活動を、ALIRANはアカデミックな人びとを中心に徹底した人権主義を貫く雑誌の出版を続けています。PIFWAのような漁民自身の自主的な運動にもCAPは多くの助言をしてきたといいます。CAPとALIRANは、共に国際的なネットワークを広く持ち、グローバルな課題にも取り組んでいます。

    マレーシアでは、2008年の次に行われる5年に一度の総選挙を目前に清潔で公正な選挙制度を求める選挙制度改革運動「BERSIH」(マレー語で「清潔な」という意味)が盛り上がっています。人びとの政治活動を制限する様々な法律が現存するマレーシアでこれほどまでに大規模なデモが行われたことはありません。2012年4月に行われたアクションは、クアラルンプールとペナンの2か所で同時に行われました。ペナンで行われたアクションには8000人から1万人の参加者がありました。ペナンにはマレーシアで初めての「スピーカーズ・コーナー」があり、人びとは自由にそこで自分の主張をすることができます。こうした場所は今まで合法的に存在しませんでした。

    政治的背景

    ペナン島のジョージ・タウンは、2009年に世界遺産に指定されました。一方で、乱開発が続く状況を憂いた人びとが「ペナン・フォーラム」を結成しペナンのこれから、とくに開発問題について活発な議論が行われています。12年7月に開催された5回目のフォーラムにはリム・ペナン州首相が招かれスピーチをしています。

    そのスピーチでリム州首相が引用した言葉があります。1951年にマラヤ連邦下で初めて行われた自治体選挙の監視団としてジョージ・タウンにやってきた英国人の言葉です。 「ペナンは民主的な体制が育つ場所として適している。ここには誇るべき教育制度が長くあり、人びとはペナン人としての誇りと土地に対する愛着を持つ。‘ペナンが主導する(=lead)’というモットーが人びとの口をついて出てくるが、これは祈りや希望などではなく、単なる事実の肯定にすぎない。ペナンは「平等」がある場所だ。」

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