能登レポート(後編):復興期を生きる能登の今
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まだまだこれから
前編では、能登町の居場所「なごみ」の1年をお伝えしました。後編では、震災から2年が経った復興期の能登の様子をお伝えします。
発災直後のように水が出ない、電気が来ないという状況はありません。それでも被災地にいると、人びとの関心が高い緊急期よりも、復興期の方がはるかに長く、難しい時間であることを痛感します。
続く人手不足
報道などでも伝えられているように、能登の人口流出は深刻で、様々な業種で人手不足が課題となっています。従業員不足のため、営業日を週末に限定しているお店も多く、復興の足かせになっていると感じます。一方で、震災をきっかけに学生などが能登に関わるようになり、人手不足の現場にボランティアとして加わったり、中には移住して能登の復興に携わる人の話を聞くこともあります。

以前より改善したとはいえ、まだまだ片側通行の道路や土嚢が積み上げられて仮復旧の場所が至る所にある
ただ、やはり流入に比べて流出が圧倒的に多いのも事実です。復興計画を考える段階で、必ず「10年後にどれだけの人が能登に残っているか?」という指摘が入ります。先を見据えた計画は大事だけれど、スケールダウンした計画により「能登には何もない、能登で暮らすのは難しい…」と若い人がさらに出て行ってしまうのではないかと感じることも。
過疎高齢化の進んだ能登で起きた震災。復興の道筋を立てていくのは本当に難しいと思います。
生活再建の難しさ
震災により家を失った人の生活再建も過疎地だからこその難しさがあります。仮設住宅の入居期限は原則2年間。能登の場合は、特例で3年まで認められていますが、すでに2年が経過しようとしています。能登の場合、業者の数も限られているため、見積もり依頼を出してもなかなか返事がこず、いつ家を建てられるか分からないという話はよく聞きます。
また、家の再建を望んでいても、離れて暮らす子どもから「能登には戻らないから、家は建てないで欲しい」と言われるケースもあります。自分たちの意思だけでは決められなかったり、それぞれに個別の事情があることがよく分かります。
「色んなことを忘れられる時間が必要だった」
輪島市の重蔵神社で開催してきた物資配付は、形を変えながら約2年間続き、2025年11月に終了しました。パルシックは2024年4月から半年ほど運営を担ってきましたが、その後もただ物を配付する場ではなく、コミュニティとして発展していきました。

後半は参加費も徴収するようになりましたが、週に1回開催される配付会は毎回200人を超える人が来て日常の一部になっていました
先月、当時一緒に活動していた地元のボランティアの皆さんにお会いしたとき、「発災直後の大変な時は、考えないといけないことがいっぱいあった。だからこそ配付ボランティアに参加する時間はそういうことを忘れられる大切な時間だった」と言われました。物資を取りに来る人だけでなく、ボランティアの皆さんにとっても大切な場所になっていたことが分かります。
そして、配付会の終了後、物資配付を行ってきたボランティアメンバーが輪島市にある仮設団地で月2回のサロン活動をスタートしました。

「わごころカフェ」という名前で開催しているサロンは、物資配付をしていたボランティアメンバーが中心となって運営
輪島市内にある世帯数の多い仮設団地は、色んな地域から集まってきた人が多く、入居して1年以上経っても、他の人とほとんど交流がないケースがあります。私がサロンを訪れたときにお話しした方も「誰がいるか分からないし、孤独を感じる」と言っていました。
もちろんすべての団地が同じような状況というわけではありませんが、場所によっては交流の機会自体があまりなく、そういった場所でのサロン活動は大事だと感じています。今年からは重蔵神社の境内でも人が集まるサロンを始めるそうで、私たちも出来る限り関わっていきたいと考えています。
想いを繋いで
これまで書いてきたことは能登で起きていることのほんの一部であり、場所や個人によっても状況は大きく異なります。そして、まだまだ復興には時間がかかります。
今年も去年と変わらず、活動の中で出来る限り色んな人の想いを繋ぎ、能登の復興に心を寄せる人たちと一緒に、活動に取り組んでいきます。
(能登事務所 小栗清香)
※この事業は、ジャパン・プラットフォーム、ALAMCO SRI 社会貢献ファンド(愛称:あすのはね)の助成と皆さまからのご寄付で実施しています。
