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[開催報告]パレスチナ緊急集会(第2部)

  • コラム

2023112日夜に、「ガザの声~ビデオメッセージから、市民社会ができることを考える~」と題した緊急オンライン・イベントを開催し、ガザの現状の報告、ガザで暮らすスタッフの声、およびその背景事情についてお話し、皆さんとの質疑応答の時間を持ちました。

後半の第2部では、この事態が起きた歴史的背景を振り返りました。

はじめに、いまガザで起きていることは、107日に突然始まった「抵抗組織ハマス対イスラエルの戦争」ではありません。ここに至るまでの歴史を振り返ります。

1.「占領下にある」ということ

まず、「占領下にあるパレスチナ自治区」とはどういうことかというと、「占領下にある」というのは、イスラエルの軍事占領下にあるということです。つまり、パレスチナはイスラエルの武力によって支配されているという状態です。「自治区」というのはどういうことかというと、パレスチナは「国際社会」に認められた「国」ではないということです。国連に加盟している193カ国のうち、138カ国はパレスチナを国として認めていますが、日本やアメリカも含める先進国の多くが国として承認していません。

2. ヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害とシオニズム

ヨーロッパで長く迫害を受けてきたユダヤ教徒は、19世紀末、ユダヤ人の避難所として自分たちの国を作ろうとする運動をおこしました。この運動は「シオニズム」と呼ばれています。ジャーナリストのテオドール・ヘルツルの呼び掛けで1897年に「第1回シオニスト会議」がスイスのバーゼルで開催され、その会議でユダヤ人の国を作ることを決意し、その避難所に選ばれたのがパレスチナでした。

3. 帝国主義とイギリスの三枚舌外交

ちょうど同じころ、イギリス帝国などがこの地域を支配していたオスマン帝国倒そうとしていました。そのため、パレスチナで国家建設を目指すユダヤ人と、オスマン帝国から独立してアラブ人の国を作ろうとするパレスチナ人の両方に、それぞれの国家をつくることを約束して、オスマン帝国を倒すための協力を得ます。さらに、イギリスはこの地域をフランスやロシアとも山分けしようという、矛盾する約束をしていました。イギリスの三枚舌外交と呼ばれています。そして、結局、第一次世界大戦後、下の地図にあるように、イギリスが「委任統治」という形で占領しました。

そして、第二次大戦が起き、ご存知の通り、ドイツのナチスによるユダヤ人に対するジェノサイドが行われました。この結果、西ヨーロッパから大量のユダヤ難民がパレスチナに流れてきました。そして、この地域に住んでいたアラブ人と、どんどん増えるユダヤ人の間で衝突が激しくなっていきました。

結局、大戦後、イギリスは、自分たちではこの混乱を収拾できないと判断し「国連」に頼りました。国連では「アラブ人とユダヤ人で土地を分けたらいいじゃないか」という分割決議案が採択されました。しかし、どうやって土地を分けるのかは、国連が勝手に決めてしまいましたので、アラブ側もシオニスト側も納得できず、衝突がさらに激化していきます。

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4. イスラエル建国、ナクバ(大災厄)、第三次中東戦争

19485月、シオニストたちはイスラエルの建国に踏み切り、それに反対したアラブ諸国との間で第一次中東戦争が勃発します。イスラエル建国の前後で、シオニストたちによって元々パレスチナに住んでいたアラブ人の村が襲われ、家が破壊され、虐殺が起きました。70万人以上のアラブ人が国内および近隣諸国へと難民となりました。パレスチナではこの出来事をナクバ(大災厄)と呼んでいます。もう75年も前のことですが、この時難民になった人たちは、未だに帰ることができず、パレスチナや近隣諸国の難民キャンプで暮らしています。

1967年にはまた、第三次中東戦争と呼ばれる大きな戦争がありました。この戦争で、アメリカのバックアップを受けたイスラエルが圧勝し、下の地図のピンク、黄色、紫で色づけられた地域、南はシナイ半島から北はゴラン高原までを占領しました。

そもそも、国際的には武力による領土の獲得は禁止されています。また、戦争で他国を占領した場合でも、その占領は一時的なものであるべきとされています。しかし、パレスチナでは50年以上も占領が続いているという、異常な状態です。

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5. 草の根の抵抗運動と和平の取り組み(オスロ合意)

占領された故郷の解放を求めるパレスチナ人による抵抗運動が続き、1987には第一次インティファーダ、石の蜂起に発展しました。人びとはイスラエル兵の機関銃に対して、手元にあるもの、石をもって抵抗したのです。そして、この時にハマスが抵抗運動を支える、慈善団体として活動を始めました。ハマスには、3つの面があると言えます。1つ目はこの救済活動をする社会運動組織、2つ目は行政組織、3つ目は今、ニュースでみなさんが見ている抵抗武装組織、という面です。

とはいえ、和平に向かう試みもなかったわけではありません。1993年、当時のイスラエルのラビン首相とパレスチナのファタハが率いるPLOのアラファト議長が、オスロ合意を締結しました。具体的には、パレスチナに暫定的な自治政府を作り、5年以内にその地域からイスラエルの撤退を目指すという計画で、当初はパレスチナでもイスラエルでも和平への期待が高まっていました。

しかし、残念ながらオスロ合意から30年たった今もなお、根本的な占領問題は棚上げされ、政治的な解決がなされず、状況はどんどん悪化しています。

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出典:Ron Edmonds of Associated Press

6. 和平の破綻と分断

オスロ合意に失望した人びとの抵抗は第2次インティファーダに発展しました。イスラエル側、パレスチナ側、双方に多くの犠牲者を出しました。

そのすぐあとに起こったアメリカの911後に、ブッシュ大統領が掲げた「テロとの戦い」の中で、パレスチナの抵抗運動は「テロ」の文脈で語られることになり、イスラエルによってテロリストの侵入を防ぐという名目で、イスラエル市民とパレスチナ市民を分断する分離壁が建設されました。西岸地区とイスラエルおよびエルサレムの間に8メートルから12メートルにもなる壁が建設され、西岸に住むパレスチナ人は許可証がないと東エルサレムやイスラエル側に行くことができなくなりました。

2006年、パレスチナの国会にあたる立法評議会選挙が実施されました。その結果、ハマスが過半数の議席を獲得しました。しかし、9.11の後、ハマスは欧米諸国にテロ組織とみなされ、ハマスの勝利は国際的に認められませんでした。パレスチナ内でも、ファタハとハマスの分断が進み、ファタハはヨルダン川西岸に政府を、ハマスはガザに政府を樹立することになり、今に続きます。

その後、ガザがイスラエルによって軍事封鎖され、人もモノも移動が厳しく制限された状態が続いています。そして、イスラエルによる大規模な軍事侵攻が何度も繰り返されています。

 7. 縮小していったパレスチナ

歴史的に、パレスチナの土地がどのように切り刻まれてきたのかを、地図で確認したいと思います。左から右へ時代が新しくなります。緑がパレスチナ人の土地、水色がイスラエルの土地です。そして、1967年以降は、緑の土地が赤く囲まれていて、イスラエルの占領地となったことを示しています。一番右が今現在の地図です。よく見ると、赤く囲まれたところの内側がごちゃごちゃしていますので、この部分ちょっと見てみましょう。

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8. ヨルダン川西岸地区

ヨルダン川西岸地区は、三重県と同じくらいの面積、もしくは千葉県の9割くらいの面積で、320万人ほどのパレスチナ人が住んでいます。50万人を超えるイスラエルの違法入植者が住んでいます。自治区と呼んでますが、エリアA、エリアB、エリアCの三つの地区に分けられています。

濃い青色がエリアAで、パレスチナ自治政府が行政も治安も担っています。

水色のエリアBは、行政はパレスチナ、治安はイスラエルで、何か暴力や犯罪が起きても、パレスチナの警察は関与できません。

白いエリアCは、行政も治安もイスラエルが権限をもっており、ユダヤ人の違法入植地が年々増えています。

自治区とはいっても、自治権があるエリアAは面積でいうと18%のみです。

西岸では、ガザのように空爆がしょっちゅうあるわけではありませんが、占領という人間性をはく奪する暴力にずっと曝されています。

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エリアB、C、そして東エルサレムでは、パレスチナ人は家の建設や修復でさえイスラエルからの許可が必要となりますし、パレスチナ人の住む家や学校に対して、イスラエルが取り壊し命令を出します。

 9. 最近の状況

2021年頃から、西岸地区でも暴力が激しくなっています。西岸北部のジェニン難民キャンプにイスラエル軍が侵攻して、キャンプに住む人びとの家やインフラを破壊したり、今年の2月には西岸中部ナブルス県で、違法入植者によって放火され、建物や車が破壊されました。

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また、下のグラフはイスラエルによる行政拘禁されてりいるパレスチナ人の人数です。行政拘禁とは、容疑をかけられて逮捕された人ではなく、恣意的に拘禁され、裁判などきちんとした司法手続きのないまま、投獄されている人たちです。その中には子供も含まれます。イスラエルの人権団体の発表によると、今年の6月時点で1117人がいつ釈放されるかもわからないまま刑務所に入れられています。ここ数年、その数は増え続けていることがわかります。

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10. 私たちにできること

このような状況に対して、私たちにできることを考えたいと思います。

まずは何よりも、ハマスとイスラエル双方に対する停戦を求める必要があります。一般市民が受けている暴力を今すぐ止めなくてはなりません。デモに行く、身近な政治家に声を届ける、調べる、周りの人と話す、SNSで声を上げるなどができると思います。ただし、SNSで出回っている情報は、不確かなものやフェイクも含まれているので、シェアする前に確かめてください。

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