特定非営利活動法人 パルシック(PARCIC)

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インドに逃れたミャンマーの人びとに食料と現金を配付しました

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2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが発生してから、4年以上が経過しました。

デモに参加した人や公務員を辞めた人など、軍事政権から追われる立場となった人びとや、戦闘や空爆で住む場所を失った人びとは、国内で避難生活を続けるか、国外へ退避して暮らしています。タイに逃れた避難民が注目されることが多い一方で、実はインドにも3万人を超える避難民が逃れています。

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インドのミゾラム州アイザウル。急斜面に所狭しと家が建ち並ぶ

1980年代半ば、当時の軍事政権による弾圧から多くのミャンマー人がタイへ避難しました。国内外から支援を受け、タイにはいくつもの難民キャンプがつくられ、反政府組織の関係者含め多くの人びとがキャンプで生活していました。しかし、近年はUSAIDの援助停止など国際支援が減少し、キャンプの存続が危ぶまれています。

同じ時期、多くの人びとがインド北東部にも逃れました。しかし、タイとは異なり、難民キャンプは閉鎖され、避難民は空き家や安価な家を探して暮らすか、弾圧を覚悟でやむなくミャンマーへ戻るしかありませんでした。そのため、2021年のクーデター以前、インドのミゾラム州には大規模な難民キャンプも国際機関の支援もほとんどなく、クーデター後にインドに逃れた人びとは、外からの支援に頼らずに、ゼロから生活を立て直さなければなりませんでした。

インドとミャンマーの国境地域は、タイ国境地域に比べてアクセスが非常に困難です。たとえば、タイではバンコクからメーソットまで飛行機で約1時間、そこから車で10分ほどで国境に着きますが、インドでは、デリーからミゾラム州アイザウルのレンプイ空港まで飛行機で約3時間、さらに国境まで車で7時間ほどかかります。雨期には土砂崩れで通行止めになることもしばしばあります。

この地域は外国人の立ち入りが制限されており、訪問にはオンラインでの登録手続きと登録料の支払いが必要です。タイ側の国境では、検問所の警官の多くが地域住民と同じカレン民族であるのに対し、ミゾラム州では異なる民族の警察官が厳しく監視しています。

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ミゾラム州の道路、土砂災害による通行止め、道路復旧を待つ人びと

ミャンマーからの避難民がインドで暮らすことは容易ではありません。ミャンマーのザガイン管区と国境を接するマニプール州では、2023年から民族間の武力衝突が激化、避難民も被害を受けています。

ミゾラム州では、現地市民組織が人数把握のために独自に避難民の登録を行っていますが、これは正式な難民登録ではなく、支援や就労につながるものではありません。仕事は自力で探さなければならず、多くは採石や道路工事など日雇いの肉体労働です。避難先で出産しても子どもが国籍を得られない場合もあります。ミゾラム州の住民から差別を受けることもあります。州内での商業活動は禁止され、移動も制限されています。

さらに20257月頃から、避難民の指紋や顔写真などの生体認証データの登録がミゾラム州で始まり、すでに12,000人以上のデータが登録されました[1][2]。避難民の間では、自分たちの情報がミャンマー国軍に渡るのではないかという不安が広がっています。過去にUNHCRが避難民データを不適切に扱った事例もあり[3]、プライバシーや安全への懸念は深刻です。

こうした状況のなか、パルシックは支援者の方からのご寄付で、インドに逃れた人びと327人に米と油を配付し、64人に現金を給付しました。

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避難している家の前で話を聞いた。狭いワンルームに、子ども5人と住む

現金をお渡しした人に、クーデターが起きたときの話を聞きました。

「私の祖父や親戚も軍人だったので、国軍に入りました。国軍はやりたい放題で、罪のない人を叩いたりしていたから、国軍が好きというわけではありませんでした。NLD政権になり、この国は良い方向に向かっている、きっと今後は良くなると思って、軍人を続けていました。

アウンサンスーチーさんが拘束されたとき、祖父は私たちを集めて言いました。
“おそらく、あと4年は大変なことになる。このまま軍人を続けていたら、お金には困らないだろう。もし市民の側についたら、生活はとても大変なものになる。わしはもう引退だから、お前たちは自分で進む道を決めなさい”

そして私は国軍を辞め、国軍に抵抗する人たちの側に立ちました。しかし目と膝に病気があり、ミャンマー国内で活動し続けることができず、すぐにインドに逃れました。今は無職です。親戚の中には国軍で働き続けている人もいるため、親戚とは一切連絡を取っていません。支援は本当に助かります。これで5人の子どもたちにご飯を食べさせることができます」

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現地市民組織が運営する避難所。中央にあるのは今回支援した米と油

ミゾラム州チャンパイ地区の現地市民組織は、ミャンマーからの避難民に無償で住居を提供しています。多くの避難民が暮らす避難所の管理人に話を聞きました。

「ここは2022年に始めました。入居者はどんどん増え、20258月末現在、327人が暮らしています。入居者の選抜はありません。ミャンマーから逃れてきた人、誰でも入居できます。しかし部屋が足りないときは入居できません。入居希望者は今も増え続けているため、近くに新たな宿舎を建設しているところです。隣の学校に通うのも無料ですし、仕事のあっせんもしています。入居者は建物の横で畑をやり、自分で野菜を育てています。

最近は、海外からの支援がどんどん減っています。デリーにあるUNHCRの事務所を訪問し、支援をお願いしましたが、ミャンマーは国内問題だと言われ、支援をしてもらえませんでした。今は週に1回、入居者にお米を配っていますが、いつまで続けられるか分かりません。パルシックに支援をしてもらえて、本当にありがたいです」

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避難所の部屋。布で仕切り、複数人で部屋を共有する

この事業は、支援者の方からのご寄付で実施しました。現地の避難民にとって、本当に貴重な支援となりました。心より感謝いたします。

(東京事務所 ミャンマー事業担当)

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