タイ国境出張レポート:子どもたちの笑顔と元気な声があふれる移民学習センター 後編
- 活動レポート
翌日は、メソト市の南側に位置するMLCを3つ訪れました。北側のMLCは家族と離れて寮で生活する子どもが多かったのですが、南側のMLCは家族も一緒にタイに住んでいる場合が多いです。また、北部ではカレン語が主に話されていますが、南部ではビルマ語が主に話されています。
グレースMLCは、お米、コーン、サトウキビ、タピオカといった作物を栽培する畑の奥、そしてミャンマーとの国境の川のそばに位置します。2023年のクーデター以前は、ここには教会があり、子どもたちが寝泊まりし、川を渡ってミャンマー側の学校に通うという生活がありました。しかし、クーデター後、安全の状況が悪くなり子どもたちがミャンマーに行くことができなくなり、教育施設として少しずつ教会が教室を増やしてきました。
このMLCで教師をしている女性の先生たちは、夫をミャンマーにおいて、子どもを連れてこちらに来ました。MLCの敷地内にある建物で、家族がミャンマーにいる10人の女の子と一緒に寝泊まりしています。

「ミンガラバー」(ビルマ語でこんにちは)と元気いっぱい挨拶してくれる子どもたち。机と椅子、教室の後ろに見える二段ベッドを支援しました。寮がないため、家族がいない男子生徒は、夜は教室のベッドで寝ます。
パルシックが事業を行っているMLCは、教会が支援していることが多いのですが、次に訪れたピラヒタMLCはお寺の敷地内にありました。こちらのMLCには寮はなく、140人の児童生徒は近隣の家から通ってきています。先生は6人いますが、19歳の若い先生もいますし、まだ首が座ったばかりの赤ちゃんを抱っこしている若い先生もいました。
8年生には男の子一人しか在籍していません。彼の親は、ミャンマーの内部のバゴー県に住んでいます。今年度が終了したのち、どこに行くのかは決まっていないけど、勉強を続けることができるのであれば、算数が好きだから将来エンジニアになりたいと話してくれました。
ちょうどお昼の鐘が鳴り、子どもたちは自分のお弁当箱を持って、好きな場所に散り散りになりました。お弁当のおかずは、みんなで分けっこして食べるのがミャンマースタイル!先生もお弁当分けっこの仲間入りをしていました。他のMLCの子どもたちの栄養の状況は心配な状況なのですが、こちらの生徒たちのお弁当をのぞかせてもらうと、マメ、豚肉、鶏肉、卵、魚など、たんぱく質のおかずの種類が豊富で、タイのNGOスタッフも私もとても安心して嬉しくなりました。

お弁当のおかずは、みんなでわけっこがミャンマースタイル。
次は、タイ国内でも農作物で有名なエリアにあるスコータイMLCを訪問しました。MLCへの道中に、ドリアン、バナナ、コーン、チリなどを栽培する立派なプランテーションがたくさんあります。こちらのMLCに子どもを通わせている世帯の親は、これらのプランテーションで働いています。ミャンマー国内の状況の悪化を受け、MLCに通う子どもの数が年々増加しています。去年は140人受け入れていましたが、今年はこちらでは幼稚園から6年生までの187人受け入れています。先生はもともと6人だったのですが、2か月前にミャンマーから逃げてきた新たな男の先生2人が加わっています。
こちらのMLCは以前、別の場所にあったのですが、土地の所有の問題があり今の位置に移動してきました。しかしまた、地主が土地代をどんどん上げる、そして土地の利用方法にいろいろ制限がある(植物を植えてはいけないなど)など多くの問題を抱えていて、移転を目指して動いています。移転先の土地も決まっているのですが、土地を購入する資金がなく、困っている状況です。MLCによって抱える問題が本当に多方面にわたることを改めて実感しました。

先生がいなくても、しっかり自習している1年生の子どもたち。

高学年ではミャンマーについての授業を行っていました。先生は2か月前に、ミャンマーから逃げてきてこちらのMLCで教師をしています。
メソト市内にあるメルシーMLCです。こちらのMLCでは240人の児童生徒が勉強し、そのうち170人が寮生活を送っています。教師は17人います。さらに特徴的なのが、メソトにあるMLCの中で、GED(General Education Development)(※米国の大検に当たる試験。この試験をパスすると、米国とその制度を採用している海外の大学の進学資格を得られる)レベルの教育を提供しているMLCは、メルシーを含めて4校のみです。
GEDクラスでは、日本の高校3年生の年代~22歳の生徒が18人勉強しています。2か月前に31人がGEDに合格し、MLCを卒業しました。タイの大学に進学した人、企業に就職した人など進路は様々です。他方、7人の生徒はボランティアとしてMLCに残り、先生の補助、GEDクラスのアシスタント、スポーツの先生、MLCニュースレターの原稿執筆など、各自の得意分野や興味に沿った形でMLCの運営を担っています。小学校低学年の子どもたちが帰宅するときに、ボランティアのお姉さんたちに抱きついて挨拶をしている姿を見て、ボランティアはみんなの大きなお姉さん、お兄さんの役割を担っていることが分かりました。他のMLCの寮でも感じたのですが、寮生はまるで大家族のような様子です。
GEDを受ける準備の勉強をしている学生たちは、英語を流暢に話すことができるため、タイのNGOスタッフの通訳を介すことなく、直接会話をすることができました。英語は、MLCで学習しているのに加えて、タイに逃げてくる前にミャンマー国内の大学で学んだ人、こちらのMLCに通う前まで住んでいた難民キャンプで学んだ人など様々です。
6月からボランティアとして働いているAさんは、1年前に車で10時間かけてミャンマーのタム・ヒン難民キャンプから移動してきました。キャンプでは、カレン語とミャンマー語の通訳、カレン語と英語の通訳をしていました。しかし、GEDを受けるために、MLCに一人で移ってきました。何も法的な身分証明書を持たないミャンマー移民が、国内を移動することはとても困難で、勇気と努力がないとその道のりはとても乗り越えることができなかったと話してくれました。とても辛い経験だったと思いますが、笑顔であっけらかんと話す姿から、彼女の強さ、逞しさを感じました。Aさんは大学では教育を学び、将来は学校の教師になるという夢を持っています。
ボランティアのJさんは、このMLCで親友と呼べる友だちに出会うことができてとても嬉しい、心強いと話してくれました。しかし、彼女もとても辛い道のりを経てMLCにたどり着きました。クーデター後、2021年にミャンマー軍が村にやってきて、彼女の自宅を陣取り、そこから村を攻撃するのを目の当たりにしました。その後、家族で4つの村を転々と移動し、最終的にメソトの対岸にある村にたどり着きました。MLCの寮で生活するようになってからも、1年以上トラウマに苦しみ、夜眠ることができない症状が続きました。今でもそのトラウマを抱えていますが、自分の気持ちをコントロールしようと努力している毎日です。絵を描くことにより、自分の気持ちを落ち着けることができることも知り、MLCの小さな子どもたちにも絵を描くセッションを行い、同じようにつらい目に合った子どもたちのケアにもあたっています。
兵役の義務から逃れ、勉強を継続するためにMLCにやってきた学生もいます。Nくんは現在、GED受験のための勉強をしています。1年前に、徴兵から逃れて勉強を続けるためにMLCに来ました。家族は故郷のバゴー地域に残っています。将来のことはまだわからないけど、家族を養うために仕事をしたいと話していました。夢はシェフになることだと恥ずかしそうに言うと、周りの友達もおーっ!と盛り上がっていました。
このように、MLCで生活をして、勉強をしている一人一人に、別々のストーリーがあります。10代のような年代になると、友人同士でお互いの過去や状況について話すそうで、また、話すプロセスが自分の経験を咀嚼し、回復につながるとも話してくれました。

GEDクラスの授業風景

パルシックでは事業を行っているすべてのMLCに寮の給食のための食料支援を行っています。前日に届けたナマズは、ウリと一緒にスープになりました。事業の食料支援により、たんぱく質量が増え、食事の量も増えたとGEDの学生が教えてくれました。(この女性の指示のもと、子どもたちは給食の準備をします)
ミャンマー国内の状況はどんどん悪化しており、タイへ逃げてくる子どもが増えていることを短い滞在中に実感しました。どのMLCも、ギリギリのキャパシティーの中で運営している中、子どもたちの平和な生活、そして勉強を続けるためにできることを、教師のみなさんが創意工夫して行っている姿を見ました。そしてどのMLCでも、笑顔で楽しそうな子どもたちを見て話しを聞いて、また先生方もやりがいを感じてお仕事をされている様子に、心が動かされました。
パルシックは引き続き、現地で最も必要とされていることを聞き取り、子どもたち、先生たちに寄り添った活動を継続していきます。
(東京事務所 ミャンマー事業担当)
*この事業は、ジャパン・プラットフォームの助成と皆さまからのご寄付で実施しています。