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【ベイルート大規模爆発レポート】#3 爆発から3週間。シリア難民、レバノン人、人びとの声。

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8月4日、ベイルート港で発生した大規模爆発から3週間が経過しました。ベイルート市内のおよそ半数にあたる26カ所の医療施設と、120以上の学校が被害を受けましたが、施設の修復には時間がかかると言われています。今、被災地ではどんなことが起きているのでしょうか。

爆発後の大きく損壊した建物で、シリア難民は今も暮らしている。

階下で暮らすシリア難民の子どもたち。

上の写真は、爆発の中心地から約1.5キロのカランティナという被災地で8月23日に撮影したものです。これは廃墟でしょうか。いいえ、この部屋で、今も、シリア難民の男性が寝泊まりをしているのです。シリア難民のカリームさん(仮名)一家は、この貧しい工業地帯にある4階建ての建物の屋上に、簡易の小屋を建てて住んでいました。

8月4日の爆発によって、屋根と壁が吹き飛び、幸いにして大きな怪我はなかったものの、家は住み続けることができなくなってしまいました。避難するといっても、他に頼る先もなかったため、階下に住むシリア難民の一家のところに、子ども2人と奥さんを一時的に住ませてもらうことにして、父親のカリームさんだけは、壊れたままの天井裏に住み続けているのです。NGOが家屋の修理を開始したものの、家族揃って家に住めるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

カリームさんの息子さん(4歳)は、爆発が起こってから、一人でいることを嫌がるようになり、お手洗いすら、一人で行けなくなってしまいました。このような小さな子どもが赤ちゃん返りすることは、災害に直面した子どものごく自然な反応であって、適切なサポートを受けることができれば自然と回復していきます。

カランティナの一角にあるこの地区には、レバノン人が約150世帯、シリア難民が約300世帯、パレスチナ難民が1世帯と、工場で働く移民たちが住んでいます。レバノン人のおばあさんが住む世帯を訪ねたところ、「シリア難民は国連から住居の修復や現金支給などを受けているのに、私たちレバノン人は地元NGOと軍からの一時的な食糧配布だけ。家の修復も、NGOが査定に来ただけで、誰も修復してくれない」と語りました。この地区では、シリア難民とレバノン人の間で、支援の格差を巡って、わだかまりが生じています。

レバノン人女性とシリア難民の子どもたち。

もう一軒、シリア難民の家庭を訪ねました。小さな建物の2階にはレバノン人のファティマさん(仮名、写真左)一家が住んでおり、その上の階にはシリア難民のマリアムさん(仮名)一家が住んでいます。軍による食糧配布があった際に、マリアムさんは食糧を受け取りに行っていいのか、迷ったそうです。しかし、ファティマさん一家が一緒に行ってくれたので、マリアムさん一家も食糧を受け取ることができました。

多くのNGOが食糧配布を行っていますが、一家全員が列に並んで他の家族の分を取ってしまうようなケースや、他の地区のシリア難民が大勢押しかけて食糧を持って行ってしまうケースも発生しており、地区のリーダーが各世帯の建物の損害状況などを自主的にまとめ、配布がある度に調整を行っています。

本来、こういったことは自治体が行うべきですが、自治体がうまく機能していない地域では、コミュニティの自助力が重要になってきます。今、被災地でよく言われている言葉は、「コロナの方が、政府よりはまだましだ。」避難所の設置や家屋の修復など、住民が当然受けることができるはずの支援が行われないことへの苛立ちを、被災地の人たちは、日々感じているのです。自治体によっては、食糧配布や家屋の査定を素早く実施している地域もあります。貧困地域であればあるほど、シリア・パレスチナ難民や出稼ぎ労働者などの割合が多く、自治体が機能していないため、いわゆる「差別されてきた地域」において、他の地域との支援の格差が既に表出してきています。

シリア難民のマリアムさん一家は、2011年、シリアのホムスから、内戦を逃れてレバノンに避難してきました。マリアムさんは、「シリアでの戦争も恐ろしかったけど、こんなに恐ろしい大きな爆発を体験したのは初めてだった。家の窓が吹き飛んで、生きた心地がしなかった。親戚を頼ってベイルートを離れたけれど、そんなに何日も人様に迷惑はかけられない。3日して、またこの壊れた家に戻ってきたのよ。」と言いました。

マリアムさんの3人の子どものうち、ラグダちゃん(仮名、13歳、写真右から2番目)は、夜眠れない日が続いたそうです。ラグダちゃんは、地元の公立学校に今年の3月まで通っていましたが、新型コロナウィルスの蔓延に伴い、教育省が学校を閉鎖してから、一切、教育支援を受けていません。ラグダちゃんは言いました。 「私の学校は、オンラインでの授業やアプリを使った課題などは何もないの。3月から、何にも勉強してないわ。教科書も学校に置いたままなの。毎日、妹や弟と家の中で遊ぶだけ。外で遊ぶのも、コロナにかかったら怖いから、ずっと家にいるの。」

地元には、教育支援を行っているNGOなどもないそうです。コロナが世界にもたらした禍(わざわい)には数限りがありませんが、教育の機会を失ってしまった姉妹も、この見捨てられた地区の象徴の一つと言えるのかもしれません。そんな状況をあざ笑うかのように、大規模爆発発生後にコロナの新規感染者は増え続け一日あたり600人を超え、特に被災地にコロナウィルスは確実に入り込んできています。爆発後、着の身着のまま逃げるしかなかった人も多く、一時避難したり、家を修復したり、支援を受け取ったりする際に、「三密」を避けられない状態が続いたため、爆発的に患者数が増えてしまいました。岐阜県程度の大きさのレバノンでは、23日時点で、新型コロナウィルス患者数が12,000人を超えてしまっており、医療体制は限界を既に超えています。

レバノン内戦より恐ろしい体験だったと語るジアードさん(仮名、左)。

倒壊寸前の建物。

最後にレバノン人のご夫婦を訪ねました。建物の入口は瓦礫だらけで、家の中は、鉄の突っ張りが張り巡らされ、今にも建物は崩れ落ちてきそうな状態です。日本であれば、即退去するように言われるでしょう。しかし、ジアードさんは言いました。「わしは、もう61歳だ。他に移動すると言ったって、そんなお金もないし、仕事もない。わしは、レバノンで15年間続いた内戦(1975~1990年)も生き延びた。でも、こんな巨大爆発は体験したことがなかった。しかし、今後、どんなことが起こったとしても、わしらは、結局、ここで生き延びていくしかないんだ。命が助かっただけで感謝しなければ。」

地元のボランティアが集まって給食を届ける活動を行っているFood Blessedの皆さん①

地元のボランティアが集まって給食を届ける活動を行っているFood Blessedの皆さん②

そう、幾度の戦いをくぐり抜けてきた地元の人たちは、政府に頼ることができない分、互いに助け合うことで生き延びてきましたし、簡単には崩れ落ちない強さも持っています。爆発が起こった直後から、NGOを始め、一個人による支援活動も盛んに行われています。清掃や家屋修復、炊き出し、一時的な家の提供、募金、心理サポートにいたるまで、支援活動が多岐にわたっており、その迅速な活動ぶりは、他の被災国を凌ぐものがあります。

地元NGOである「Food Blessed 」も、その一つです。元々、結婚式などで大量に廃棄される食べ物を減らし、困っている人たちに届けるために立ち上がった団体で、連日、数十名のボランティアと共に、給食を作っては、被災者の方々に届けています。団体の副代表を務めるヌーラさんは言います。「私たちは、全員ボランティアで活動しているの。レバノンの経済危機のせいで、正直に言うと、私たちも、本当に生活していくだけで大変なのよ。でも、私たちの給食を心待ちにしてくれている人たちがいると思うと、また頑張れる気がするの。」

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(レバノン事務所 南)

*パルシックでは緊急の食糧支援を実施します。ぜひ、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

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