PARCIC

コーヒー生産者支援(2002年~)

2002年よりオルター・トレード・ジャパン社と共同で東ティモールの重要な輸出産品であるコーヒーを通じた取り組みを開始しました。東ティモールのコーヒー生産者が組合を組織することに協力し、良質のコーヒーをフェアトレードで買い続けることで経済的自立への足がかりにしようという取り組みです。

パルシックがコーヒー生産者支援を通じて目指すもの

パルシックは2002年より、オルター・トレード・ジャパン社と共同で、東ティモールの重要な輸出産品であるコーヒーを通じた取り組みを開始しました。東ティモールのコーヒー生産者が組合を組織することに協力し、良質のコーヒーをフェアトレードで買い続けることで、経済的自立への足がかりにしよう、という取り組みです。東ティモールには13の県がありますが、そのうち6県でコーヒーが栽培されています。そのなかでもパルシックはアイナロ県のマウベシという地域を選びました。

アイナロ県マウベシ郡

マウベシは標高1,300~1,700メートルの山間部に位置し、日中の陽射しの強さに比べて朝晩の冷え込みが激しい地域です。また年間降雨量も比較的多く、おいしいコーヒーが育つ条件に恵まれています。東ティモールでのコーヒー栽培はポルトガル植民地時代に始まりますが、マウベシで広範囲にコーヒー栽培が始まったのは1960年ごろからと比較的新しく、大規模農園ではなく、平均1ヘクタールあまりの小規模栽培が主です。マウベシには約4,000世帯、25,000人ほどが住んでいますが、そのほとんどがコーヒーを栽培しています。このマウベシ地域に「マウベシ農業協同組合」略称コカマウが組織されています。

マウベシ農業協同組合=コカマウ

コカマウは2016年現在、マウベシの6村18集落に約540世帯の組合員がいます。パルシックがマウベシのコーヒー生産者と活動を始めた2002年は34世帯からのスタートでした。長く他国の支配下にあり、またインドネシア時代に誤った組合概念が浸透してしまったために、組合(Cooperativa)とは何であるかを理解するには大変な時間がかかり、最初の10年間はまさに試行錯誤の繰り返しでした。2003年に組合規約を作成し、2004年に東ティモールに組合法が制定されてから改定を繰り返してきました。ここには組合の目的、意思決定、組合員の義務、売上金の配分などについて書かれています。集落単位で作業グループを形成し、この作業グループの集まりがコカマウとなります。各作業グループは代表者を選任し、月1回の代表者会議が実質的な議論をおこない、5名の組合役員を選任しています。ともすると組合員の関心はおカネに関することばかりになりますが、各グループをまとめる代表者や、組合の役員たちは組合の目的と将来展望を共有することで組合員をまとめようと日々頭を痛めています。

東ティモールにおけるコーヒー生産の位置

東ティモールでは、およそ4万5000世帯の農家がコーヒー生産を主な収入源にしている。一家族あたりの構成人員は平均6名、すなわちおよそ27万人が直接コーヒー生産で食べていることになる。一家族当たりの所得は年間127ドルから200ドルで、そのうち90%がコーヒーからの所得といわれる。とくに高地での自給農業を補足する現金収入を得るほとんど唯一の道としてコーヒー生産があると考えられる。

農民は高度によって異なるが、概ね5月末から9月までの時期に自分の畑のコーヒーを収穫する。収穫作業は、ごく一部を除いて家族労働で行う。収穫時期には子どもたちも収穫に参加する。そして収穫したチェリーを自宅の庭先などで乾燥させ、手で果肉を除去してパーチメント法にした状態で地域の仲買人に販売するのが伝統的だった。エルメラ県のようなコーヒー生産者が集中する地域では輸出業者が直接買い付けにくる場合がある。またエルメラ県では木製の手動果肉除去 機を有していて水洗式で加工する農民もいるが、水へのアクセスが良い農家は少ないため、およそ70%が乾燥式といわれ、パーチメントの質を低くしている。 後述するCCT(NCBA)の加工場が近くにある地域では、チェリーのままNCBAに販売する農民が多い。

コーヒー畑を有する農民も「コーヒー農民ではなく、たんなる収穫者だ」と言われているように、収穫前に下草狩りを行う以外にはほとんど畑の手入れは行わないので、平均してコーヒー生産に携わる時間は、年55日間くらいといわれている。雨季の始まる11月頃から畑の田起こしを始め、野菜・イモ類・とうもろこし・キャッサバ・豆類などを植え、3-4月に収穫し、1年間の食糧とするケースが多い。現金収入を補う手段としては、一般に鶏、豚、山羊などの家畜を飼い、それらを育てて売ることが多い。

東ティモールにおけるコーヒーの歴史

1693年
オランダがイエメンからオランダ領東インドに持ち込んだコーヒー苗(アラビカ種)が、ティモール島西部のオランダ領にも届く。
1815年
ポルトガル領ティモール総督Jose Pinto Alcoforado de Azevedo de Souzaが、コ―ヒー苗を持ちこんだ。
1859年
リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1860年
ディリとマカッサルのブギス人との間にコーヒー取り引きが成立していて、当時のポルトガル領ティモールにおいては、白檀に次いで第2の輸出産品となっていたという。
1890年代
ポルトガルが持ちこんだコーヒーにさび病が発生し、主だった種は絶滅してしまう。しかし、東ティモールではすでにアラビカ種とロブスタ種の自然交配が進んでおり、突然変異としてできたHybrido de Timor (アラビカ種に分類、Arabustasとも呼ばれる)がこの病害を生き残った。
1894年〜1908年
ポルトガル領ティモール総督をつとめたJose Celestino de Silvaは、標高1000〜1200メートルほどのエルメラ県ハトリア郡ファトゥベシに、9000ヘクタールの広大な農園を開いてHybrido de Timorを植える。
1899年
Celestino de SilvaはDr. Albano de Maglhaesとともに、のちにポルトガル領ティモールで最大のコーヒー会社となるSAPT(The Sociedade Agricola, Patria e Trabalho)社を設立。
1934年
SAPT社は日本の国策会社、南洋興発株式会社(1921年設立、社長松江春次)とともに合弁会社を設立し、15,700ヘクタールにおよぶ広大な土地でコーヒーやカカオ、ゴムなどの農園を経営する。
1936年
ポルトガル植民地政府は、各農家に1世帯あたり600本のコーヒーの木を植えることを命じる法令を出す(これは1911-12年の反乱に対する罰則として行われたという説もある)。当時の東ティモールにおけるコーヒー産業は、80パーセントをこうした諸侯の勢力下でコーヒー栽培を強いられた小規模生産者が占め、15パーセントをSAPT社の農園、残り5パーセントがその他の大規模農園という構成になっていた。
1941年12月
第2次世界大戦開戦までに、SAPT社の資本は40パーセントを日本政府が、7.619パーセントをポルトガルのウルトラマリノ国立銀行(BNU)が所有していた。戦後、この日本政府の持ち分はポルトガル植民地政府に返還される。
1975年
インドネシア軍(ABRI)の武力侵攻により、ポルトガル領ティモールは事実上インドネシア政府の支配下に置かれる。1979年、インドネシア政府によって出された法令で、SAPT社の所有する資産はインドネシアに委譲する、という合意が明文化され、以降、東ティモールのコーヒー産業および交易部門は、インドネシア国軍上級官僚によって設立されたPT Denok Hernandes Indonesia(Denok)社に独占されることになる。
1994年
アメリカの非営利団体NCBA(National Cooperative Business Assosiation)は、USAIDの強い圧力の下で、インドネシア国軍による東ティモールコーヒー産業の独占を強く非難した結果、インドネシア政府は、1994年にコーヒー貿易の開放を認めた。NCBAはUSAIDの支援を受けて「ティモール経済復興・開発プロジェクト」(TERADP: Timor Economic Rehabilitation and Develpoment Project)を8年間、1750万ドルの計画で実施することを決める。
1999年
国連による平和維持軍の派遣を経て、2002年の独立までの時代に、コーヒー部門に関しても数多くの調査・支援が行われた。しかしながら、支援はいずれも短期的なものでしかなく、農林水産省も予算が限られていることから継続的な政策を実施することはできず、民間セクターの活動の調整役という位置に自己規定している。
2002年
独立を前後して多くの民間企業、NGOがコーヒー事業に参画し始めた。
2016年10月
東ティモールコーヒー協会設立。

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