PARCIC

スリランカ

ジャフナ難民キャンプに食糧を届けています

スリランカ北部で激しく続いていた内戦がとりあえず終結を見たのは今年の5月18日。今年初めから戦火を逃れた難民が、相次いで周辺のジャフナ、ワウニヤ、マナーなどの地域に急ごしらえした難民キャンプに収容されました。内戦の最終段階には、スリランカ政府軍は、キリノッチ県、ムラティブ県、マナー県の一部など旧LTTE支配地域(スリランカでは一般にワンニ地方と呼んでいます)から住民を一掃しました。その結果、30万人近い人々が難民キャンプに収容されることになりました。2つの県の人口をゼロにして、全員が難民キャンプに入れられる、という他に例を見ない異様な事態が民族紛争の解決策とされたのです。難民キャンプとして一般に想像される状況とはかなり違っています。周囲を有刺鉄線の柵で囲まれた上に、スリランカ政府軍が周辺を警備し、難民はキャンプから外へ出ることが認められていませんし、電話などもかけられません。キャンプのある地域にアクセスするのには政府軍の許可が必要ですし、さらにキャンプ内に入る許可が得られるのは、そのキャンプ内で活動しているNGO職員などだけです。その意味では難民キャンプと言うより少数民族であるタミル人の収容所と言ったほうがいいかも知れません。スリランカ政府は、ワンニ地方の地雷が撤去されるまでの間難民を留め置かねばならないと言っています。

とはいえ、度重なる戦火をくぐりぬけてきた難民たちもそれなりにしたたかに生きています。7月にワウニヤの難民キャンプを訪れたときのこと、その有刺鉄線の柵越しに面会をしている家族や友人たちを大勢見かけました。数万人がいる広大な難民キャンプです。「どうしてあの人たちは親戚が面会に来たとか分かるのだろうか」というと案内してくれていたスリランカのNGOの友人はウインクしながら、「電話がなくても情報はちゃんと伝わるのさ」と言っていました。女たちは限られた水しかないテント住まいでも、子供たちに水浴びさせ、清潔に過ごさせようとしています。

難民をこのような閉鎖空間に収容しながら、膨大な戦費に財政を圧迫されたスリランカ政府は、食糧や生活必需品を配布する資金がないということです。みんな着のみ着のまま戦場から逃げてきた人々です。国連機関やNGOの間でも、この難民たちの支援を行うことは不当な拘束状態を正当化、長期化させることになる、支援を行わずに、先ずスリランカ政府に難民たちの移動の自由を認めさせるべきではないかと言う議論がありました。しかし、キャンプには子供や妊婦、老人なども多くいるのです。そしてこの人たちは、内戦の間も、内戦が終わってからも、いつも戦う両勢力間の人質とされているのです。

そこで国連機関とNGOは、スリランカ政府にこのような事態を早期に終結させるようにという要望を出しつつ、テントや水の配給、医療、食糧の供給、子どもたちの教育などを分担して行ってきました。

パルシックは、事務所のあるジャフナ県内に散在する10箇所(当初は11箇所)の難民キャンプに収容されている約1万人の難民に8月の初めから食糧の配布をしてきました。国連機関の世界食糧計画(WFP)が最低限の食糧を保障することになっており、米、小麦粉、砂糖、缶詰の魚を配布しています。でもスリランカ人に言わせれば、チリやフェンネルといったスパイス、そして塩がなければ、こんなもの食べられないと言います。日本人だったら醤油がなければ、というところでしょうか。そこでパルシック・ジャフナ事務所のスタッフ(タミル人)が栄養もとれ、輸送しやすく、傷みにくいものを考えて毎日のメニューをつくって必要なものを難民キャンプに配布しました(下記メニュー参照)。いずれも比較的安価なものですが、何しろ1万人前後の難民ですから、1日の食費がざっと15万円、1ヶ月で450万円かかります。9月中旬以降、ジャフナ市内に親戚や身元引受人がいる人、妊婦、老人、学生などが順次釈放されて人数が減ってきました。他方でワウニヤ難民キャンプからジャフナ出身の人が移送されてくるなど動きは急になり11月1日現在、3760人にまで減っています。

この食糧配布は、まずジャパン・プラットフォーム(JPF)からの1000万円の助成を受けて可能になりました。そして皆様からの寄付金です。11月に入ってからも食糧配布は続けています。当初、妊婦のための粉ミルクということでご寄付をお願いしましたが、妊婦の人数把握が難しかったこと、難民キャンプの管理を担当している地元の郡事務所からも、とにかく難民全員にわたる最低限の食糧配布を優先して欲しいと言われたこと、私たちもそれが必要と判断し、皆様からのご寄付もこの食糧配布に使わせていただいています。残った難民たちに引き続き食糧を提供できるように、ご寄付をお願いします。

(パルシック 井上礼子)