PARCIC

過去のアーカイブ

大坂さんの東ティモール派遣日記(15)

ボンディア(おはようございます)!もうすぐ新年を迎える時期となりましたね。またひとつ年を取るかと思うととてもブルーな気持ちになります。そしてこの2月にはとうとう40代。この残酷な現実にどう向き合えば良いのでしょうか…?

今年を振り返ると去年同様、様々な出来事が思い起こされます。昨年末はこちらに来てまだ2か月余りで、右も左も分からない状況。ティモール人の考えている ことや話している言葉も全く理解出来ず、ただ不安で恐ろしく毎晩泣いて過ごしていました。早く任期の1年半が穏便に過ぎることを願って…。

しかし、一時帰国直前の3月、こちらに来て6ヵ月経とうとする頃になると、言葉も少しずつ分かりはじめ、またティモール人の人柄の良さや彼らと仕事をする ことの喜びを理解するようになり、また仕事の責任も感じ出し、6カ月のインターンを終了後現地駐在職員として雇用して頂くこととなりました。しかし、充実 し始めた矢先の3月11日(金)、想像もしなかったことが起こりました。東北大震災です。私の両親は岩手県釜石市出身で、親戚も多く一番可愛がってくれた 叔父たちとの連絡が取れなくなってしまったのです。心配でネットで不明者探しをする毎日。国内よりも国際電話が繋がりやすいと聞き、毎日何度も電話をかけ ますがもちろん繋がるはずもなく、最悪の状況を想定し心づもりをしていました。しかし2週間後、こちらからかけた電話を叔父が取ってくれた際は心から神様 に感謝しました。特定の宗教を持たない私ですが、全くげんきんなものです。当時はここで活動するよりも緊急な救援を必要としている方々のために帰国するべ きなのではないか、と真剣に悩みましたがPARCICが石巻支援に3月末に入ることを聞き、冷静に考えてみた結果、私には私に与えられた、また自ら選んだ 道があり、ここで頑張ることで何等かの形で東北支援にも繋がれば良いのはないか、とこちらで続けて活動させて頂くことを再決意しました。何よりも心の支え になったのは、東ティモールの方々の心からのお見舞いでした。「ご家族は大丈夫?」「日本のために祈っているよ」- 長く辛い歴史を持つティモールの人々は他人の痛みに非常に敏感です。こんなにも心優しい人々だったとは、その時初めて知ったのです。その頃からでしょう か、何か靄が晴れていくような、こちらでずっと活動して行きたい、皆で悩んだり、笑ったり、泣いたりしながら、地方の方々の生活向上の一因を彼等と少しず つ、共に担っていくことが出来れば、と思うようになりました。つい先日も「津波被害の現状は?ご家族は?」と聞かれました。


▲女性グループの皆さんとこれからも共に…

それから月日の過ぎていくのは、文字通りアッと言う間でした。昔から私は要領が悪く、仕事の処理能力も低く、やるべき事が次から次に押し寄せますが、決し て苦には感じません。平日は活動地マウベシでの業務に付ききりで、週末にそのまとめや翌週の準備をするのが常ですが、私は幸せを感じています。何かのご縁 でこちらに来て、活動させて頂けることへの感謝と何ものにも代えられない、まさにプライスレス(カード会社のコマーシャルで以前このフレーズがありました よね)な経験をさせて頂いているからです。

こちらの人々の生活や環境は、特に地方ではまだまだ厳しく、特に子供達が薪拾いや水汲みに精を出している姿が通常の光景です。しかし彼らは東ティモールの 今後50年を担っていく大切な未来の星。学校へ行き、勉強をし、将来に備えて欲しい。急激な経済変化は人々の生活に歪みを引き起こします。既に首都ディリ ではその一端を感じられます。ゆっくりとした歩みの中でしかし着実に良い方向へこの国が向かって行くことを願うばかりです。私がここで出来ることは、所詮 たかが知れています。もしかすると彼等にとって余計なお世話なことをしているのかも知れません。それでも私が一緒に働く女性グループの方々が興味を持って 活動に参加して下さる限り、仕事に一切の妥協をしない姿勢を貫き、共に切磋琢磨していきたいと思っています。何故なら今では東ティモールの人々を愛してし まっているからです!

(東ティモール事務所 大坂智美)