[PARCIC]特定非営利活動法人 パルシックは東ティモール、スリランカでフェアトレードを含めた「民際協力」活動を展開しています。


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基礎情報
概要
スリランカ民主社会主義共和国
Democratic Socialist Republic of Sri Lanka
国名 スリランカ民主社会主義共和国
首都 スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
面積 面積:6万5607キロ平方メートル(北海道の8割の大きさ)
人口 1966万8千人(2005年現在)
宗教 約70%が仏教徒、約15%がヒンドゥー教、約7%がイスラム教徒、約7%がキリスト教徒
言語 シンハラ語、タミール語
主食 主食は米、多様なカレー
通貨 スリランカルピー
地図

略歴
(1948~2008)

1948年

2月

英連邦内自治領セイロンとして独立。

セイロン市民権法18号:国籍取得に関する制限。インド(高地)タミル人などインド系住民のほとんどが国籍を剥奪されていく。

1956年

 

シンハラ語公用語化(「シンハラ・オンリー」と呼ばれる政策)。

1972年

5月22日

新憲法採択、仏教の準国教化。

英自治領からの完全独立。

政権議会が賛成119、反対16で共和国憲法を採択。国名をセイロンよりスリランカに改称、政体を共和制に変更。初代大統領ウィリアム・ゴパーラワ(Williamu Gopallawa)。

トリンコマリでタミル統一戦線(Tamil United Front:TUF)設立。参加母体はACTC,FP,CWCでイーラム共和国樹立を宣言。

.プラバカランLTTEの前身「タミル・ニュー・タイガー」設立。

1974年

 

第4回国際タミル研究会議(ジャフナ)で警察官10人を殺害。

スリランカ・インド両国政府、カッチャーティブ(Kachchate)島のスリランカ帰属、ポーク海峡の領海決定の協定に調印。

国防省、東部台風団(Peradige Sulang Kalliya), 黒いランプ(Kalupahana)、ランカ革命青年組織(Lanka iplakari Tharuma Sanidanaya)の3団体について緊急考案法によりテロ活動を理由に解散を命じる。

JPの裁判結審し、指導者のヴィジェヴィーラに終身刑の判決が確定。

1975年

 

.プラバカラン、「タミル・ニュー・タイガー」を母体にして「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」設立

1977年

  第8回総選挙でUNP大勝(168議席中140議席)、J.R.ジャヤワルデナ首相就任。TULF16議席獲得し、第一野党に。

ジャフナで警官と民衆衝突、各地でタミル人に対する暴行、略奪波及し、72時間の外出禁止令。

ローハナ・ヴィジェヴィーラ人民解放戦線委員長釈放。

1978年

2月

議院内閣制から大統領内閣制に:J.R.ジャヤワルダナが初代大統領。ラナシン・プレマダーサが首相に任命される。

1983年

7月

ジャフナで政府軍兵士13人殺害。コロンボほか各地で大規模な反タミル人暴動(「黒い7月(Black July)」)。「第一次イーラム戦争」へ。

1985年

6月

インド・スリランカ両国首脳会談のコミュニケ発表。武力行使を停止、政治的解決を図り、北・東部州が正常な状態に復帰することにより、難民がインドから帰還しやすくする。

スリランカ政府と「イーラム国」独立運動グループとの和平交渉がティンプーで始まる。

1987年

5月

政府軍によるジャフナでの大規模な戦闘開始。

1987年

4月

7月

11月

インド空軍輸送機がジャフナ上空飛来、食糧や医薬品を投下。

インド介入。「インド・スリランカ和平協定」調印。インド平和維持軍(IPKF)スリランカ派遣。

和平協定を受けた憲法第13次修正と州議会法可決へ。北部・東部州暫定的併合、シンハラ・タミル両言語公用語化、武装勢力の武装解除などへ。LTTEはインド介入に反発しインド平和維持軍と戦闘。

インド介入に反対する人民解放戦線(JP)の武装蜂起と政府による鎮圧へ。

1988年

9月8日

11月1日

ジャヤワルダナ大統領、北部州と東部州を一時的に単一行政単位にすると宣言。

北東部州の選挙実施。インド軍の支持を受けたEPRLFが勝利。

1989年

1月2日

7月

ラナシンハ・プレマダーサ(Ranasinghe Premadasa)が、第2代大統領に就任。

JP鎮圧開始:その後半年間で3000人死亡。

1990年

1月

6月

7月

インド平和維持軍(Indian Peace Keeping Force, IPKF)が立ち退いた後の北部州・東部州地域を、LTTEが占領。

スリランカ政府軍とLTTEとの軍事衝突が激化(バブニヤ)。

イーラム人民革命解放戦線(EPRLF)が一方的に北・東部州独立を宣言しようとしたため、スリランカ政府が北東地域議会を解散。

1991年

5月

6月

マドラス近郊で、ラディーブ・ガンジー(Raji Gandhi)インド首相(国民会議派)が、LTTE工作員とされる自爆攻撃に遭い暗殺される。

スリランカ政府軍とLTTEとの戦闘が激化(Eelam War )。

内政干渉を理由に英国大使が国外退去を命じられる。

1993年

4月

5月

UNPから分離した統一国民民主戦線(DUNF)のラリト・アトラトムダリ委員長、コロンボの選挙集会で演説中に暗殺される。

プレマダーサ大統領、メーデー行進指揮中に暗殺される――ヴィジャトゥンガ首相が暫定的な後任大統領に選ばれる。

1994年

6月

11月

第10回総選挙。全225議席中、UNPが94議席、SLFP率いる人民連合(People's Alliance, PA)が105議席。チャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)が、第14代首相に就任(同月19日)。

第3回大統領選挙。UNPのシリマ・ディサナーヤカ候補を破って、SLFPのチャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)首相が勝利。得票率は、UNPが35.9%、SLFPが62.3%。

1995年

1月

4月

12月

クマーラトゥンガ大統領、LTTEとの和平会談の再開を約束、暫定的停戦。

LTTE、トリンコマリー港に停泊中の海軍艦艇2隻を沈没させ、戦闘再開。

LTTEが、戦域をジャフナ(Jaffna)からキリノッチ(Kilinochchi)へ移動させる。

1996年

7月

LTTEが、ムライティヴ(Mullaittiu)にあるスリランカ政府軍基地を襲撃。政府軍兵士1400人近くが死亡。

1997年

1月

10月

スリランカ政府軍が、ワウニヤ(auniya)とジャフナ(Jaffna)を結ぶ国道を奪還するために、「確実な勝利(Jaya Sikirui)」作戦を開始。

英国の仲介により、PAとUNPが民族紛争解決に向けて歴史的合意に達する。

アメリカ合衆国が、LTTEを「テロ」組織に認定。

1998年

1月

LTTEが、キャンディ(Kandy)の仏歯寺(Dalada Maligaa)に爆弾を積んだトラックで突入。キャンディ(Kandy)で、シンハラ人とタミル人の暴動が発生。シンハラ人は、タミル人が経営する店舗やヒンドゥー教寺院などを襲撃。

スリランカ政府が、LTTEを非合法化。

1999年

12月

北部州のバブニヤ北部とジャフナ南部で激しい戦闘続く。

エレファント・パスで、スリランカ政府軍とLTTEの激しい戦闘。

クマーラトゥンガ大統領、コロンボの選挙演説中に自爆攻撃で負傷するが再選を果たす。

2000年

1月1日

4月2日

9月1日

10月10日

ノルウェーの仲介による和平の開始(外相、ロンドンでLTTE幹部と会談)

LTTEの攻撃を受け、エレファントパス陸軍基地陥落。

イスラーム政党のスリランカ・ムスリム会議(Sri Lanka Muslim Congress:SLMC)委員長のアシュラフ港湾相がヘリコプター墜落で死亡。

第11回総選挙が実施される。225議席中、UNPが89議席、人民連合(PA)が107議席、人民解放戦線(JP)が10議席、タミル統一解放戦線(TULF)が5議席。人民連合(PA)は過半数に6議席及ばなかったが、小政党の協力により過半数を確保。SLFPのラトナシリ・ウィクラマナーヤカ(Ratnasiri Wickramanayake)が首相続投。

2001年

1月

7月19日

7月24日

12月5日

ロンドンで、ノルウェーの和平特使エリック・ソルハイム (Erik Solheim) が、LTTE政治顧問であるアントン・バーラシンハム (Anton Balasingham) と会談。

コロンボで、数千人の参加のもと、クマーラトゥンガ-大統領による国会停会措置に抗議するデモが実施される。デモ隊に向けてスリランカ警察が銃を発砲し、2人が負傷。

カトナーヤカ空軍基地と国際空港がLTTE軍に攻撃され、10機以上の空軍機と民間機が爆破される。

第12回総選挙が実施される。UNPが109議席で多数を占める。(国民統一戦線[United National Front, UNF])、人民連合(People's Alliance, PA)が77議席、人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha imukthi Peramuna, JP])が16議席、タミル民族同盟(Tamil National Alliance:タミル統一解放戦線[Tamil United Liberation Front, TULF]など、4つのタミル人政党の合同体))が15議席、スリランカ・ムスリム会議(Sri Lanka Muslim Congress, SLMS)が5議席、イーラム人民民主党(Eelam People's Democratic Party, EPDP)が2議席、民主人民解放戦線(Democratic People's Liberation Front, DPLF)が1議席。UNFのウイクラマシンハ内閣成立。クマラトゥンガ大統領と首相が議会では与野党に分かれるというねじれが生じる。

タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、12月24日から1ヶ月間の一方的な停戦を表明。これに応じて

スリランカ政府も24日からの停戦を表明。 

2002年

2月22日

9月

10月

12月

ノルウェーの仲介により、スリランカ政府とLTTEが無期限停戦に合意(CFA)。

タイのサタヒプ海軍基地で第1回和平交渉開かれる。LTTE側はタミル・イーラム国家の分離独立ではなく、スリランカ国家内での民族自決を追及すると表明。

タイのナコンパトムで、2回和平交渉、明石康日本政府代表を緊急人道・復興ニーズを扱う小委員会(スリランカ政府、LTTE,イスラム教徒の代表で構成されるSubcommittee for Immediate Humanitarian Relief Needs: SIHRN)の最高顧問にするという合意得られる。

第3回和平交渉、オスロで開かれる。北・東部復興支援資金の管理を世界銀行に委ねる合意。両者は、「ひとつのスリランカの中で連邦制度を構築すること (a federal structure within a united Sri Lanka)」を追求することに合意。

2003年

1月

2月

3月

4月

6月

10月

11月

第4回和平交渉、タイのナコンパトムで開催。和平成立後の政治的な枠組みとして連邦制を検討することで合意。

第5回和平交渉をドイツのベルリンで開催。児童兵士などの人権問題を解決するために、イアン・マーティブ元アムネスティ・インターナショナル代表をアドバイサーに任命。

第6回和平交渉箱根で開催。

スリランカ復興支援準備会合をワシントンで開く。LTTEをテロリスト規定している米国で開いたことにLTTE側は抗議。

スリランカの復興開発に関する東京会議開催。2003年から2006年までの4年間にわたり見積額合計45億米ドルを超す支援を表明。LTTE参加せず。

LTTE、北・東部に広範な自治を求める和平案「北部・東部暫定自治機構案(ISGA」を発表。

クマラトゥンガ大統領、ヴィクラマシンハ首相訪米中に議会を停止、国防相、内務相、情報相を解任。

2004年

2月

3月4日

4月2日

12月26日

クマーラトゥンガ大統領は国会を解散

LTTE東部代表のカルナ少佐が6000名の兵士を伴ってLTTEを離脱。

第13回総選挙実施。

全議席225中105議席をクマラトゥンガ大統領率いる野党連合「統一人民自由連合(UPFA)が抑え第1党となり、与党UNPは82議席。ハンバントータ出身のマヒンダ・ラージャパクシャが首相となる。

東部、南部を中心にスマトラ沖大地震のインド洋津波に襲われる。

2005年

6月

8月12日

11月18日

12月

政府・LTTEの津波後救援資金共同運営枠組み(P-TOMS)が政府とLTTEとの間で合意。JPはこの動きへの抗議から与党連合を離脱。P-TOMS体制は最高裁で違憲と判断され、実施には至らず。

カディルガマル外相暗殺。LTTEの狙撃兵によるものとされる

大統領選挙実施。首相であったSLFP「スリランカ自由党」のマヒンダ・ラジャパクサが、野党UNP「統一国民党」党首ラニル・ウィクラマシンハを僅差で破り、大統領となる。北部タミルはLTTEの指示によって投票をボイコット。

LTTEが「英雄の日」スピーチで「自決の闘い」強化を表明。

ジャフナで政府軍を狙った爆発物攻撃により死傷者。「第四次イーラム戦争」へ。

2006年

2月

4月

(7月)

(8月5日)

8月11日

11月21日

12月

ノルウェー仲介により政府・LTTE直接交渉(スイス・ジュネーブ)

サラス・フォンセカ陸軍司令官を狙った自爆攻撃。政府軍が空爆。

LTTEがマウィル・アール水系頭首工の水門を閉鎖したのは、タミル人居住区に飲料水さえ十分に供給されず、シンハラ入植農民にのみ配水されてきた、という積年の不満を表明するために行われた。政府軍は「市民生活を守るための限定的な侵攻」という大義名分を掲げて、空爆、地上軍の派遣に踏み切った。LTTEは8月5日午前0時に撤退を開始し、停戦協定時に定めた支配地区に戻った。

ジャフナ半島で内戦再燃。

東京援助国会議の共同議長国(米、日、EU、ノルウエー)がワシントンで会合:スリランカ政府・LTTE双方の停戦合意違反を非難。

「テロ規制法」導入。

アントン・バーラシンハムが死去(病死)。

2007年

1月1日

2月27日

3月22日

4月26日

7月

11月

北部州、東部州分離の一環として、ウィジェウィクラマ北東部州知事を「東部州知事」として新たに任命。

バティカロアを視察に訪れた日米独伊欧の大使を乗せた空軍ヘリが着陸直後にLTTEの迫撃砲攻撃を受ける。

LTTE飛行機がカトゥナヤカ政府空軍基地を空爆。

LTTE飛行機がコロンボ近郊(ガス・オイル施設)を空爆。

政府軍が東部LTTE支配地域をほぼ制圧。

LTTE政治局長のS.P.タミルチェルバンが政府軍の空爆により死亡。

2008年

1月2日

1月6日

4月6日

5月10日

9月

10月14日

政府が停戦協定の破棄をノルウェーに通告。

コロンボ市内でタミル人野党UNP議員のマヒシュワラン氏(T. Maheswaran)が銃撃され死亡。

西部州ガンパハ県のスポーツ大会会場で自爆テロ、出席していたハイウェイ・道路開発大臣が死亡。

東部州議会選挙:与党勢力UPFAが議席の過半数を占め、UPFA連合内のTMPのピッラリヤン(元LTTE)が主席大臣就任。

政府の勧告を受けて国連機関、国際NGOがワンニ地域から撤退。

インド、タミルナドゥ州選出国会議員がインド政府にスリランカのタミル人の人権侵害に対処することを要求。

参考WEB http://web.kyoto-inet.or.jp/people/satoyuki/srilanka/srilanka.html
スリランカにおけるパルシックの活動経緯 
月日 活動内容
2002年 2月22日 スリランカ停戦合意
2003年 4月 ジャフナ県での調査を実施(漁村支援を決定)
5月 スリランカ復興開発NGOネットワークに参加
6月 スリランカ復興支援東京会議
2004年 1月 国別NGO研究会(スリランカ)現地調査に参加
4月 ジャフナにパルシック事務所設置
5月 ジャフナの漁村女性を対象とした乾燥魚加工支援事業の開始
12月 インドネシアにおいて乾燥魚加工研修(5名派遣)
12月24日 スマトラ沖地震による津波:プロジェクト地域も被災
2005年 1月 津波被災者のための緊急支援(食料、医薬品の配布)
3月 津波被災者のための仮設住宅支援(カジャンを使用した住宅)
3月―翌3月 津波緊急復興支援事業(漁船と漁具の提供、日本NGO支援無償)
3月-9月 「北東部の漁協による市場アクセスと漁業支援」調査(JBIC提案型調査)
8月-翌6月 ジャフナ県漁村女性乾燥魚加工事業の再開(IOMによる助成)
2006年 8月11日 北部における内戦の再燃
8月15-16日 ウバ州の紅茶園調査
8月26日 ジャフナ駐在日本人職員の航路による緊急退避
2007年 1月-4月 ジャフナ漁村への緊急食糧援助
4月-翌3月 ジャフナ漁村女性のための養鶏支援(第1期)
10月―12月 ジャフナ漁村女性のための養鶏支援(第2期)
2008年 4月―12月 ジャフナ県漁村女性のための養鶏支援(第3期)
4月 ウバ紅茶のフェアトレードの開始
文献
1) 参考文献
著者 書籍・文献名 出版元 出版年
渋谷利雄/高桑史子
『スリランカ--人びとの暮らしをたずねて』
段々社
2003年
庄野護 『スリランカ学の冒険』 南船北馬舎 1996年
杉本良男編 『スリランカ---暮らしがわかるアジア読本』 河出書房新社 1998年
アヌラー・W・マニケー著 中村禮子/スーシー・ウィターナゲ訳 『熱い紅茶』 段々社 1995年
エディリヴィーラ・R. サラッチャンドラ著、中村禮子、パドマ・ラタナーヤカ訳 『明日はそんなに暗くない』 南雲堂 1991年