PARCIC

パレスチナ

国際社会に翻弄されてきたパレスチナ。可能な限り寄り添っていこうとしています。

ガザ地方は人や物の移動も制限され、2014年の戦争からの復興も進んでいません。100万人の人びとが未だ必要な食糧を確保することもままならず、失業率は42%にのぼり、若い人たちが将来への希望や夢を抱くことが難しい状況です。パルシックは、2014年の戦争を契機にガザ地方の復興支援を、2016年からは西岸で循環型経済をつくるための支援を開始しました。

プロジェクトを知る

西岸地区ナブルス県での耕作放棄地へのオリーブ植樹事業(2016年~)

2016年より、国土緑化推進機構の緑の募金の助成を受け、パレスチナ西岸地区の北部ナブルス県にあるジャマインでオリーブの植樹事業を実施しています。

西岸地区ジャマインでの地域循環型農業事業(2016年~)

パレスチナ西岸地区ジャマインにて、地域社会の環境意識の向上、分別・再利用を通したゴミの減量、作物栽培の生産量の拡大に取り組んでいます。

ガザ地区被災住民への緊急支援(2014年~)

ガザ地区中部の国境沿いの地域で農業復興支援と食糧配布、子どものケア、洪水被害における毛布の緊急配布を行っています。

パレスチナを知る

パレスチナ自治領に住むパレスチナ人475万人に対して、世界各国で難民となっているパレスチナ人が約615万人、イスラエル領土内にいるパレスチナ人が約147万人と言われています。生まれてから50年間難民として生きてきた人もいます。私たちはパレスチナ人たちの思い、文化をもっともっと知りたいと思います。

食べる

オリーブオイルをふんだんにつかい、牛肉、鶏肉、羊肉など多様な肉がメインのパレスチナ料理は、大勢の家族で食べるのに適した料理です。ここでパレスチナの家庭料理をご紹介していきます。

学ぶ

パレスチナの歴史は、そのまま国際社会の歴史でもあります。ガザや西岸のパレスチナ人がどんな生活をし、そんなことを考えているのかをお伝えします。

観る

エルサレムは世界の宗教の発祥の地。クリスマスのイリュミネーションは実に美しく、パレスチナに人びとは観光客が訪れてくれることを願っています。
  パレスチナ(Palestine)
面積 6,020平方キロメートル
西岸地区5,655平方キロメートル(三重県と同程度)
ガザ地区365平方キロメートル(東京23区の約0.6倍)
人口 パレスチナ自治区468万人(うち西岸地区約286万人、ガザ地区182万人)
宗教 イスラム教92%・キリスト教7%・その他1%

パレスチナ人は1948年のイスラエル建国以来、人口の50%以上が難民となって近隣の中東諸国あるいは米国、ヨーロッパなどに散っています。ガザ、西岸の人口も1948年以前は他の地域に暮らしていた人たちが難民となってこの地域に居住している難民です。

世界各地に難民となっているパレスチナ人(2014年1月、出所UNRWAから構成)

国/地域 人口 比率
パレスチナ自治区 西岸地区 914,192 16.6%
ガザ地区 1,397,014 25.3%
中東諸国 ヨルダン 2,154,486 39.0%
シリア 569,645 10.3%
レバノン 483,645 8.8%
その他世界各地 米国、ヨーロッパ他 6,581,288 54.4%
合計 12,100,000  

16世紀
オスマン帝国の支配下に入る
19世紀以降
ヨーロッパのユダヤ人がオスマン帝国領パレスチナに入植開始
1922年
国際連盟でイギリス委任統治領パレスチナの創設を決議
1947年
国連でパレスチナ分割決議を採択
1948年
イスラエル建国により第一次中東戦争が勃発。イスラエルはパレスチナの約8割を占領し多くのパレスチナ人が難民化する。
1956年
第二次中東戦争勃発(エジプトとイスラエル、イギリス、フランスがスエズ運河を巡って起こした戦争)
1967年
イスラエルとアラブ連合(エジプト、シリア、ヨルダン)の間で第三次中東戦争勃発。イスラエルがガザ地区、ヨルダン川西岸地区を占領。
1973年
イスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で第四次中東戦争勃発
1987年
第一次インティファーダ
1993年
オスロ合意締結
1994年
パレスチナの西岸・ガザ地域での暫定自治を樹立
2000年
第二次インティファーダ勃発
2006年
パレスチナで行われた自治政府の立法議会選挙でハマスが勝利
イスラエルによるガザ侵攻
2008年
イスラエルによるガザ空爆・地上侵攻
2014年
イスラエルによるガザ侵攻。死者は2,200名以上に上り、第4次中東戦争以来最大となる