PARCIC

パレスチナ

ターリク(Tarek)

ガザ事務所 プロジェクト・オフィサー(農家支援事業担当)

2014年10月のガザ地区の緊急支援の立ち上げからパルシックに加わっており、職場のお兄さん的存在。ガザ市生まれのガザーウィ(難民ではないガザ市民)で、1986年から10年ほどソ連(当時)に遊学していました。強面に似合わずお世話好きで、連絡・報告などはとてもマメ。「パルシックに加わってから、苦境にある人びとと誠実に付き合う中でたくさんのことを学びました。彼らの自分たちの生活を再建していこうという希望を支えることは何物にも代えがたい経験です。」

サハル(Sahar)

ガザ事務所 プロジェクト・オフィサー(女性支援事業担当)

パレスチナ事務所開設時からいるもう一人のスタッフです。以前は難聴の子どもたちを支援するNGOで働いていました。16歳で結婚し、4人の子どもの出産と育児のかたわら学士を取得。農村や難民キャンプの女性たちに親身に寄り添い、明るく励まし、力強く背中を押してくれます。「子ども支援を天職だと考えていたころガザ攻撃があり、パルシックで働き始めて考え方が変わりました。保守的な社会で女性として働くことは大変ですが、女性たちの目が明るく輝く瞬間は、私を前へ前へと後押ししてくれます。」

タグリード(Taghreed)

ガザ事務所 プロジェクト・オフィサー(子ども事業担当)

ガザ中部ヌセイラット難民キャンプ出身。大学では英文学を専攻し、卒業後も教育や翻訳について学びました。2002年から10年間アブダビで過ごしたのち、ガザに戻ってきました。2015年9月からパルシックの一員で、3児の母。「電気も飲み水も十分に確保できないガザでの生活は、アブダビでの暮らしが長かった私には困難に感じることも多いですが、戦争で被害を受けた同じガザに住む人々の生活再建を支援する今の仕事に、とてもやりがいを感じています。」

ヤラ(Yara)

ガザ事務所 プロジェクト・オフィサー(子ども事業担当)

西岸ラマラ出身の最年少スタッフ。パルシックでは2015年3月から働いています。学生時代を過ごした西岸ナブルス県での環境・生計支援事業を担当しています。社交的な性格で、事業地で出会う人びとにもすぐに溶け込みます。「大学在学中、難民キャンプで青少年の支援活動を行う現地CBOで、通訳やティーチングアシスタントのボランティアをしていました。声を上げられずにいる人びとが必要としていることを知り、支援が行き届くようにすることが大切であると感じ、現在の仕事につながっています。」

廣本(Hiromoto)

西岸事務所 プログラム・オフィサー

広島県呉市出身。ガザの子ども事業と西岸で行う環境・生計支援事業、オリーブの植林事業を監督しています。大学ではパレスチナ問題や広島の「被爆者」問題といったテーマに取り組んでいました。一般企業に就職した後も、仕事のかたわら日本でNGOの国際協力活動に携わっていましたが、NGOへの転職を決断。西岸南部のヘブロンで教育支援に携わったのち、2015年9月パルシックに加わりました。時折文化や慣習の違いにぶち当たりながらも、頑固な行政担当者からシャイな女性たち、気難しい農家さん、元気の良すぎる子どもたちまで、多種多様な人々と日々根気強く交渉し、議論を重ねています。フットワーク軽く現場に通い、真摯な関係構築を目指しています。

盛田(Morita)

西岸事務所 パレスチナ事務所代表/プログラム・オフィサー

大阪府堺市出身。大学ではパレスチナ問題やアフリカの子ども兵をテーマに学びました。大学院ではスリランカの紛争帰還民の土地問題を研究するとともに、国際NGOのスリランカでの紛争帰還民の支援事業に携わっています。2015年3月よりパルシックでの勤務を開始し、パレスチナに駐在。2015年10月からは現地代表を務め、ガザ緊急支援事業の統括、農業復興支援事業のマネジメントを主に担当しています。“アラサー”世代ですが、周りの人たちからはそれ以上の落ち着きと貫禄があると言われます。パレスチナチームの代表として、スタッフとのコミュニケーションを大切にし、事業の丁寧なフォローアップを日々心がけています。