| HOME > パルシックとは |
1999年にアジアの一角、ティモール島の東半分で、インドネシア軍と民兵による住民虐殺と収奪が起こった時に、医薬品を携えて駆けつけたのが民際協力の始まりでした。その後、東ティモールでの活動は、コーヒーを生産する農民たちを協同組合に組織し、加工技術を教えて、作られたコーヒーの生豆をフェアトレードとして日本に輸入する活動へと発展してきました。この活動を通じて私たちは人々の自立的で持続可能な暮らしと経済を成り立たせるような支援の重要性を認識し、そのような経済自立支援=生業支援において産品の市場を確保するということが、支援の出口として重要であると考えるようになりました。国境を越えた社会的企業のネットワークを形成し、生産者の暮らしを守ることがパルシックの民際協力事業の重要な柱です。
2004年にはスリランカの漁業者や紅茶生産者たちと出会い、その後マレーシアの沿岸漁民たちとの出会いはこうしたネットワークを豊かにしてきました。2011年には、東日本大震災の地震、津波、原発事故と言う三重苦の災害に直面して、初めて、日本国内での緊急救援事業にも取り組みました。ここでも農業生産者、漁業者と寄り添って、息の長い支援を続けたいと考えています。
パルシックはアジア太平洋資料センター(PARC)の民際協力部が分割、名前を変えて2008年4月に生まれました。 PARCとして、1989年にピープルズ・プラン21世紀という国境を越えた人びとのオールタナティブをめざすことを宣言しました。その具体的な実践の現場 として、タイの河川流域での環境保全・住民のネットワーク組織を手始めに、東ティモール、スリランカ、マレーシアでの事業を始めました。
パルシックは地球に暮らす人と人の相互理解を助けるために、現場を訪ね、交流し、現場からの情報をお伝えします。





